ボケた家の馬鹿息子

朝、まぶたを開けると降りるべき駅が眼前を通過していく。夜、読みはじめたテクストの部分がすでに先週の授業で終わっていたことに暫し気づかず、しかも、指名しておいた学生1人の発表が残っているのに、「今日の分担は終わったね」と言ってソソクサと授業を終えようとしてしまう。いちばん前に座っていた女子学生の冷徹な視線に刺し殺される。赦せ、オッサンには、こんなボケボケの1日もあるのだよ。

月末の発表に向けて、Joel Fineman, "The History of the Anecdote: Fiction and Fiction," The Subjectivity Effect in Western Literary Tradition: Essays toward the Release of Shakespeare's Will (MIT P, 1991)を再読する。いつもうなる。250円につれられて、西永良成『サルトルの晩年』(中公新書,1988)を購入する。

〈家の馬鹿息子〉と言われそう……。