stanco?

ウィリアム・シェイクスピア/ジョン・フレッチャー(大井邦雄訳)『二人の貴公子』、レイマンド・フィッツサイモンズ(松岡和子訳)『エドマンド・キーン』、ジョン・ドライデン(竹之内明子訳)『恋ぞすべて』M・C・ブラッドブルック『歴史のなかのシェイクスピア』、J・M・クッツェー(くぼたのぞみ訳)『マイケル・K』を読了。『マイケル・K』はなんとなく『キム』を思い出したなり。

 

大井邦雄氏が昨年亡くなっていることを知る。数回、お便りをいただいたことがあると記憶する。毛筆でしたためられた達筆で重厚なものだった。ご冥福をお祈りいたします。

 

sono stanco molto...

ココロを燃やせ

『ミドルマーチ』読了。全2巻、2段組、合計約1000ページは、さすがに長いが、読ませる。人生は思いどおりに行かないことばかりで、ときにいらだちがつのってしまうものですな。ジョン・フレッチャー『野鴨追い』も読了。

 

今年は、なにやら色々な種類の仕事をチョコチョコやっていてあわただしい。どれも単体ではたいしたことのないものなのだが、性質の異なる仕事が日々雨あられと言わんばかりに降り注がれるので、こちらのスケジュール管理と正気をほどよく保っておかないと、万事滞りなくすすんでいかない。そして、「やれるときにできるだけのことをやっておけ」と常に己に言い聞かせて事にあたらないと、なにかが一瞬で崩れ落ちてしまうことになるのではないかという気になっている。こんなときに重要なのは、ちょっとした笑いだろうと思うので、最高のウィットを動員した発言を会議でくりだしてみたりするのだが、そんなときに限ってテリー教授が殺伐とした雰囲気で場の空気を染め上げるので、炎の呼吸・奥義「煉獄」をくりだしてココロのなかでこの鬼の首を焼き切ってやることにしている。「ココロを燃やせ」という炎柱の教えは、ここでも生きている。

 

ココロを燃やせ……。

7月がおわる

テネシー・ウィリアム「夏と煙」*テレンス・ラティガン「銘々のテーブル」』(南雲堂)のうち、『銘々のテーブル』のみ、マリーズ・リズン『イスラーム』(岩波書店)、ウラジーミル・ナボコフ『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』(講談社文芸文庫)、ヘンリー・マッケンジー『感情の人』(音羽書房鶴見書店)、ジョン・ゲイ『乞食オペラ』(法政大学出版局)、土門トキオ/川崎タカオ『おすしかめんサーモンーーきょうふ!なぞなぞニギリーランド』(学研プラス)、ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』(講談社)第2部のはじめまで、を読了。

 

ラティガン、やはり大好き。ナボコフ、レトリック過剰。『おすしかめんサーモン』、傑作。ジョージ・エリオット、長すぎ。

 

ワシ、死んでる……。

星はどこにもいかない。

マーティン・マクドナーウィー・トーマス』(PARCO)、別役実『ジョバンニの父への旅/諸国を遍歴する二人の騎士の物語』(ハヤカワ演劇文庫)、図師宣忠『エーコ薔薇の名前』ーー迷宮をめぐる〈はてしない物語〉』(慶應義塾大学出版会)、小林信彦『ぼくたちの好きな戦争』(新潮社)、レイ・ブラッドベリ『お菓子の髑髏』(ちくま文庫)、エドワード・ケアリー『望楼館追想』(文春文庫)を読了。『ドン・キホーテ』は最初の200ページで挫折する。

 

エドワード・ケアリー『望楼館追想』が圧倒的。ラヴ・ストーリーだな。

 

天文台から天体望遠鏡がなくなってしまったんだ。

だいじょうぶよ、星はどこにもいかないわ。

それはよかった。(362ページ)

 

なんとも美しい。

 

基本的に、ワシは死んでいる……。

ウィリアムの教え

薔薇の名前』を読了する。

〈ウィリアムの教え集〉

「師匠の悪いところは身につけないほうがよいぞ。人間が考えなければいけないのは、唯一つだけだ。この年になってやっとわかった、それは死だ。〈死ハ旅人ノ安ラギダーーアラユル労苦ノ終リダ〉。どうか、わたしに祈らせてくれ」(上109)

「だが、偉大だからこそ、変ってもいるのだ。正常に見える人間は卑小な輩にすぎない。」(上110)

「学問とは、単に為さねばならぬことや、為しうることだけを知ろうとするのでなく、為しうるであろうことも、為してはならないことも、時には知ることなのだ。」(上160)

「よくあることだよ。書物はしばしば別の書物のことを語る。一巻の無害な書物がしばしば一個の種子に似て、危険な書物の花を咲かせてみたり、あるいは逆に、苦い根に甘い実を熟れさせたりする。」(下52)

「書物というのは、信じるためにではなく、検討されるべき対象として、つねに書かれるのだ。一巻の書物を前にして、それが何を言っているのかではなく、何を言わんとしているのかを、わたしたちは問題にしなければならない。」(下100)

「世の中には権力を握る者たちの言葉と、見捨てられていく一方の者たちの言葉とがあるのだ。平信徒たちが話している俗語は後者の類の言葉で、われらが主は普遍的な言葉として叡知と権力とを表すすべを彼らに許さなかった。」(下123)

「ベーコンはいみじくも言ったぞ。学問の始まりは言語の習得にあると!」(下172)

「だが、何であれ、純粋というものはいつでもわたしに恐怖を覚えさせる」

「純粋さのなかでも何が、とりわけ、あなたに恐怖を抱かせるのですか?」私は尋ねた。

「性急な点だ」ウィリアムが答えた(下208)

「書物にとっての喜びは、読まれることにある。書物は他の記号について語る多数の記号から成り立つのだが、語られた記号のほうもまたそれぞれに事物について語るのだ。読んでくれる目がなければ、書物の抱えている記号は概念を生み出せずに、ただ沈黙してしまう。」(下226)

Er muoz gelichesame die leiter abewerfen, so er an ir ufgestigen

 

サミュエル・ベケット『新訳ベケット戯曲全集1ーーゴドーを待ちながら/エンドゲーム』(白水社)、アガサ・クリスティー『招かれざる客』、アガサ・クリスティー『杉の柩』(早川書房)を読了。

 

ロジャー・ベーコンを尊敬しているとな……。

鬼滅から薔薇へ

連休中は息子氏のお供で電車に乗る日々がつづく。そして、気がついたら労働に復帰する日がやってきて、こうしていま死んでいる。『鬼滅の刃』を読み終える。つぎは岸辺露伴を読むつもりなり。そして、ウンベルト・エーコ薔薇の名前』をよみはじめる。本当は『神曲』の煉獄編を読もうと思っていたのだが、いかんせん本が見当たらない。天国編も見当たらない。地獄篇だけがすぐに見つかった。なにかの予兆か。

 

眠い……。