8年後の追悼

昨日でK. Kobayashiが亡くなって8年という月日がたった。ちょうど10歳年下のワシは、あいにく生き残って、ここ数年は息子氏の子育てに奔走している。K. Kobayashiは、あいにくワシの息子氏を眼にすることはなかったし、おそらくは、ワシが子育てにいそしむ日々を送ることがくるなど、生前は想像だにしなかったにちがいない。8年経ってもワシの喪の作業は継続中なのかもしれないが、「不可解な出来事だったな」という思いが時に頭をよぎることはあれど、たとえば「K. Kobayashiのためにも……」的な気負いは、8年前から現在にいたるまで一切感じたことがない。生前はいい湯加減の距離感で接していただいたように思うから、お亡くなりなってからも、いい湯加減の距離感が持続されているのかもしれない。それゆえにであろうか、K. Kobayashiは、過剰なaffectを惹起することなく、ワシのなかでいい湯加減のままいまも残存しつづけている。豪快に笑う人だったが、いまは菩薩のような笑みをうかべている。con un sorriso.

 

2年後ぐらいにまた書きます……。