チョーサー・ゼミ

ラドヤード・キプリング『少年キム』、G・K・チェスタトン『木曜日だった男--一つの悪夢』、戸田山和久『教養の書』、ピーター・W・M・ブレイニー『シェイクスピアのファースト・フォリオ』、冨樫剛(編)『名誉革命とイギリス文学ーー新しい言説空間の誕生』。再読をふくめて1月に読んだ和書は、こんなところだったように思う。

 

昨年から2週間に1度のペースで、Geoffrey Chaucer, The Canterbury TalesのGeneral Prologueを、オジイチャンと2人で読んでいる。「2人で」と言っても、ワシが朗読して訳して文法の説明をしてお叱りを受けるというかたちなので、20年前に経験済みの大学院ゼミのような感じ。まずはワシがお土産として持参するお饅頭なり大福なりを2人して食べたあとで、ゼミははじまる。その間、オジイチャンが紅茶をいれたり、コーヒーをいれたりしてくれる。無駄話も含めて、だいたい2時間半が経過したころにお開きとなる。20年まえのゼミと同様に、このチョーサー・ゼミも、終わってオジイチャン宅の扉を出ると、ホッと安堵し、ドッと疲れる。それでも、徐々にではあるが、チョーサーならびに中英語はなかなかに面白いということがわかってきた。

 

あけましておめでとうございます……。