サヨナラを言うことは

29日。もう8月も終わろうとしているが、恐ろしいことに気がついた。ここに駄文を垂れ流しはじめて、10年が経ってしまった。この10年で色々なことがあったはずだが、ワシはアホなので、もうほとんど忘れてしまったし、ワシは傲慢なので、それらを思い出すつもりもない。ただ、ひとつだけ釈然としない感情が残存している。ニンゲンにはある日突然サヨナラも言わずに旅立ってしまわなければならないような時があるのだ。「サヨナラを言うことは少しだけ死ぬことだ」。サヨナラは死を運ぶ……本当の死を回避するために。addioはとても美しいことばだと思う。そろそろ潮時か。

* * *

20日。オジイチャンに会う。いつもの場所で、いつもの時間に会い、いつものランチを食べる。そして、いつもの他愛のない話をする。だいたい待ち合わせ時間よりもお互い20分ぐらい早くやってくる。昔はケーキとコーヒーを注文していたが、いまはランチを食べる。だいたい2時間ぐらいすると、なんとなく席を立つ。お会計はワシが払ったり、オジイチャンが払ったりする。そして、2人して横並びで駅まで歩く。理由があって、以前に比べてオジイチャンの歩くスピードは遅くなったので、ワシもなんとなく意図的にゆっくり歩くようにしている。駅までは5分もかからない。「僕は買い物して帰るから、じゃあ、また」、「ありがとうございました」などと述べあって、改札のまえで淡白に分かれる。以前は歩き去るオジイチャンにあまり視線を送りつづけることなく立ち去っていたが、いまはオジイチャンがワシの視界から消え去るまで見送ることにしている。オジイチャンは振り返ることもなくゆっくりと去っていく。オジイチャンが見えなくなると、ワシは「ああよかった、見送っていることがばれなくて。ばれたら恥ずかしいからな」と思い、ひとまず安堵する。と同時に、不吉な感情にとらわれてしまう。出会って25年、いつのまにか時が経ってしまった。

addio……。