リスの誘惑

日が沈むのは9時近くなので、ユージーンの1日は長い。1日の活動があわただしいからか、静けさを提供してくる早朝の空気と夜の闇の貴重さはなにものにも代えがたい。精神はそこで日中の狂気と折り合いをつける。すでに羊たちはここをわが場所のようにしつつあるが、羊飼いは紙一枚ほどの違和感をいまだに抱えている。そして、なぜかはわからないものの、この違和感を手放したくないとすら思っている。

4日目。昨日同様に会話とアメリカ文化に関する授業からはじまる。有能なインストラクターは、またしても各自名前を読み上げながら、昨日学習した表現を、実際に羊たちに尋ねてみる。また、昨日からはじまったオーラル・スキルズの授業について尋ねる。How was it?に対する答えはやはりyeah。だからね、わからないときは……苦笑の裏に青筋がたつ。それと、ちゃんとインストラクターの名前は覚えておこうね、これは今日のお願い。

有能なインストラクターの授業はその後、ワード・ゲームになる。昨日のrとlの発音に関連して、rとlのついた単語を各自できるだけリスト・アップさせ、いちばん多くリスト・アップしたひとに声に出して読み上げさせる。読み上げられた単語が自分のつくったリストのなかにあったら、その単語を消していき、最後に一番多くの単語がリストに残っているひとが勝ち。なかなか楽しく、勉強にもなるが、羊たちは自分のリスト・アップした単語が読めない……。笑顔で対応するインストラクターこそが、やはり良き羊飼いの名にふさわしい。

授業の後半は一昨日と同様に、オレゴン大学の学生の助力を得て、教室内で少人数の会話練習。事前に配布された質問用紙(「あなたの専攻はなんですか」、「日本をどう思いますか」などなど)に基づいて会話が繰り広げられる。

昨日からはじまっているオーラル・スキルズの授業とは、すでに5週間ぐらい当地で学習している様々な国(日本、韓国、中国、中東の国など)の学生に混じて行うオーラルの授業であり、一昨日に行ったテストの結果に基づいて、各自クラスわけがされているものである。羊たちはこの授業に手をやいているようで、下のレヴェルのクラスにかえてください、と申し出るものが2人いる。つまり、なに言ってるか、なにしてるのかすらわからない状態だ、という。仕方がないのでボスのところに変更交渉に行くが、まあ授業がはじまったばかりでscaryになっているのかもしれないから、しばらく様子見ましょ、と軽くいなされる。その旨羊に伝えるが納得できないという様子。そこに折りよくボスが現れたので、問題をかかえている羊と話しをしてもらう。すると即答で「かえましょ」ということになる。あああ、羊飼いは中間管理職的悲哀を午前中から噛みしめる。概して学生にはtryするという考えがない。不可能を可能にしてみろ、じゃなけりゃ、アメリカまできた意味がないだろ! と柄にもなく熱く語りかけそうになるのを押し殺す。だってリアリティがないからね。

午後はスポーツ・アクティヴィティの時間。今日は野球をやった模様。これは失礼させてもらい、自分の勉強をすることにする。女性コーディネーターに「行かないの? 近くに河が流れていていい景色よ」と言われるが、悪魔の微笑みに屈せず、勉強に向かう。聞くところによると、この女の子もすぐに帰ったということで、やはり悪魔の微笑みであったか、とあとから思う。

その後、いつものように各自夕食をして、最後のミーティングでお開き。ミーティングのあと、dorm, room, mailbox, suitcaseの鍵1セットをなくしたと、羊が申し出てくる。明日事務局に行って鍵をなくしたと申し出なさい、と突き放してみる。トラブルの解決も重要な勉強だよ、とそれらしいこと言ってしまう。ここまで色々なトラブルに対応してきたから許してちょ。

オレゴン大学にいるリスは超然としている。たとえばN大学にいる飼いならされたハトのようにニンゲンに媚びをうることはない。写真撮りたいならとってええよ、ぐらいの勢いで木の実をじっとほおばる。その姿は哲学的ですらある。リスさんの誘惑に屈して、ケータイのカメラをそっと向けてみると、おどろいたことに、リスさんはカメラににじりよってくる……あたかも、あたしこっちからの撮影以外はお断りなの、といわんばかりに。ありがたく一枚おさめさせていただく。かつてイギリスのリージェンツ・パークで早朝5時から1時間ほどリスの撮影に没頭した自分を思い出す。イギリスのリスはやはり意地悪で素敵。

久しぶりに自分の勉強をする。アメリカの田舎町でWilliam Wycherley, The Country Wifeを読む。

今日はまあまあ良い1日。キミハ?