ピーター・パンつながりで

Jacqueline Rose, The Case of Peter Pan: Or, The impossibility of Children's Fiction(1992)を読む。翻訳がすでに出ていて『ピーター・パンの場合』という書名になっているが、"Case"ということばは、やはりどう考えても、「症例」という意味ではなかろうかのう。「症例」ということばが精神分析によりすぎていて、この本の想定読者の範囲を狭めてしまうから、「場合」としたのか……。いやいや、「ピーター・パン症候群」という俗説と対照させるためにも、「症例」とした方がよかったのではなかろうかのう。Why War?の著者を少し不憫に思う。

本来対応すべき立場にあっても逃走を決め込んだり、一応決められている仕事量を少なく見積もったり、全体の不都合を緩和させるために授業の移動をお願いしても、「個人的な事情でできません」と述べて断ったり、いま属しているような組織のなかでは、エラクなったり、年をとったりすることは、「我の流儀をしれーっとおしとおすこと」と同義になるらしい。noblesse obligeという概念を解さぬならば、せめて「意気に感じる」ということばだけでも、脳裏に刻んでおきたまえ。second childhoodなら納得するが、Peter Pan Syndromeなら気持ち悪いぞ。ロビン・ウィリアムズを思い出した。

夏までには痩せようと思っていたら、いつの間にか夏がきていて、それなのになぜか夏休みだけがまだ来ない。その結果、暑いなか脂身を背負ったデブのまま働きつづける、という最悪の展開になっている。「最悪のものに賭けろ、享楽せよ」なんて言うわけない。

暑い……。