ベンヤミンを書く

晴れ。今日も電車で爆睡。

元指導学生の女子、再度あらわれる。ずいぶん元気になった。女性にとって20歳代がいかに大切な時期かということ、そして、男性がそれをいかに理解していないかということを、ワシに力説したあと、帰っていく。

定価の半額以下につられて、ヴァルター・ベンヤミンベンヤミン・コレクション3−−記憶への旅』(ちくま学芸文庫,1997)を購入し、120ページほど読む。

「一方通行路」から
・「書き写されたテクストだけが、それに取り組む者の魂に号令をかけるのであり、それに対し、単なる読者は、自分の内面の新しい眺めを決して知ることがない。」(29ページ)
・「これまでやったことについて、人に話したければ話してもよい。だが、仕事がまだ進行しているあいだに、その一部を朗読して聞かせてはならない。それによって得られるどんな満足感も、君のテンポを遅らせてしまうのだ。この食餌療法を守れば、語り伝えたいという願望がしだいにつのってきて、それが最終的に、完成への推進力となる。」(58ページ)
・「いかなる考えも、匿名のまま通過させてしまってはならない。メモ帳への記入は、役所が外国人登録簿をつけるときと同じように、厳しくやること。」(58ページ)
・「話すことは考えを征服するが、文字は考えを支配する。」(59ページ)
・「幸福であるとは、愕然とすることなしに自分自身の姿を見られる、ということである。」(72ページ)
・「批評とは、正しく距離を取ることである。」(108ページ)

生きるとは、愕然のなかで希望の瓦礫を拾い集めようとすることである、のか?……