ぶきっちょさんからよろしく

15日。これで1週間も風邪の状態がつづく。おかげで遠征の予定をキャンセルする。『サルトルの晩年』第1章「変貌したサルトル」を読む。失明したサルトルが必然的に見出す他者の存在、そして、それを断固として否定しようとするボーボワール

風邪よ、去れ……。

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14日。3つの授業の合間に採点。その後、来年度の授業の件でN大へ事務的なメールをし、おじいちゃんへの手紙をしたためる。何気なく見たウェブで女性英文学者が鬼籍に入ったことを知る。おじいちゃんとの会話のなかでチョクチョクお名前を伺ったことがある方だった。おじいちゃん、今頃気を落としているのではなかろうか……と思う。ベンヤミンを読了する。675ページ読むのに一週間か……。鋼のような強度をもった微笑みの思想、という印象。

ベンヤミンを書く5〉
「それ[長靴下の〈中身〉]を私は次第次第に引き寄せる。とそのとき、びっくりするようなことが起こっていた。私は〈中身〉を引っぱり出したのだったが、ところが、この〈中身〉の入っていた〈袋〉はもうそこにはなかったのだ。この成行きを何度繰り返して試しても、私はそれに飽きることがなかった。それは、形式と内容が、被いと被われているものが同じひとつのものであることを、私に教えてくれたのだった。この成行きに教えられたおかげで、文学作品から真理を引き出す際の私の手つきは、きわめて慎重なものになった。ちょうど、あの子供の手が靴下を〈袋〉から取り出したときのように。」(553−554ページ)

「早いうちから私は、言葉のなかに自分を包み込んで−−言葉(ヴォルテ)は本当は雲(ヴォルケ)だった−−雲隠れすることを学んだ。」(560ページ)

絵のなかに入っていく人……エルンスト・ブロッホ『荒野を通って』(1923)&『痕跡』(1930)(565ページ)

「私自身の存在(Dasein)にしても、その見棄てられた孤独という澱以外には、もはや何も残ってはいなかった。」(588ページ)

「『ぶきっちょさんからよろしくってよ』。私が何かを毀したり、つまずいて転んだりすると、母は私に[いつも]そう言うのだった。」(595ページ)

「いったん忘れて去ってしまったものを、再びそっくりそのまま取り戻すことは、決してできない。もし取り戻せたならば、そのショックは非常に破壊的であって、この瞬間私たちは憧憬というものを理解しなくなるにちがいない。」(612ページ)

「……教壇にいない先生など、低級な悪魔でないとしたら何だったろう。」(620ページ)

低級な悪魔にとって、セツナイ季節になってきたね……。