潮時を選んで死ぬ
深夜、激烈に咳き込んで朝方まで眠りにつけず。ネバネバしたものが喉のあたりに滞留し、その実存を執拗に主張する。
『サルトルの晩年』を読了する。第2章は、義父と実母と哲学者の3者をめぐる微妙な関係と、それが哲学者のフローベール論『家の馬鹿息子』に及ぼした影響について論じる。72歳になってもまだ母親を天使のような女性だと考え、実父を語って、彼が夭逝のために「私は〈超自我〉を持っていない」とか「死ぬだけでは充分ではない。潮時を選んで死ぬことが必要なのだ」と臆面もなく語るサルトルが、そこにはいる(146ページ)。第3章は、ロマンチスト・サルトルの〈知識人〉論を、モーリス・ブランショとアンドレ・グリュックスマンを導入しながら議論する。サルトル=ブランショは〈知識人〉を「〈善〉を告げる者」(185ページ)と考えているが、その一方で、グリュックスマンは〈知識人〉を「〈悪〉を名ざす者」(185ページ)であり、「決然とデモクラシーを擁護する者たち」(192ページ)と考えている。最後に著者は、晩年のサルトルがグリュックスマンに近い考えをもっていたことを確認する。デリダやクロード・ランズマンなどの名前がチョコチョコ出てきて面白い。先日購入したジェフリー・メールマンが、ブランショと反ユダヤ主義の関係を『テル・ケル』(82年秋)で暴露していたとは知りませんでした。そういえば、メールマンには、フランスにおける反ユダヤ主義に関する著作がありましたな。
「オプティミスムへの回心としての〈負けるが勝ち〉」(122ページ)
「愚行とは結論を下そうとすることだ(サルトル)」(127ページ)
なんてステキなコトバたち。
今村仁司『マルクス入門』(ちくま新書,2005)を230円で購入。え、発売15日後に第2刷発行って……ベストセラーやね。
秋深し、喉痛し……。