RIP: K

ある方が亡くなった。明るく、行動力があり、人付き合いがよく、国内外に友達がいて、英語が堪能で、優秀で、周囲の期待の的で……とあげればきりがないのだが、これらのすべてに「ではない」という否定語をつければ、そのままワシの人となりになってしまう。

はじめてお会いしたのは、教室だったと記憶する。たしか隣に座って『あらし』を読んでいたのだと思う。テキストのコピーをルーズリーフに貼り付けて、それにメモを書きこんでおられた。ずいぶん面倒なことをするんだな、とその時は思ったものだ。その授業はたまに皆でカキツバタを見に出かけたり、高い塔の天辺にあるレストランにランチに行ったりしていた。その方も楽しそうにしていた。オジイチャンの授業なり。

九州で開催された学会だったと記憶する。ひとりぼっちのワシを見かねてか、その方は中洲の屋台に誘ってくれた。なにを話したのかもう覚えていないが、おそらく学問の話だったと思う。もうこの頃には一年に一回お会いするかどうかの状態になっていた。ワシの人付き合いの悪さに、それは起因する。

ロンドンでもお会いしたと記憶する。一緒にグローブ座などでシェイクスピアを見て、中華料理を食べたり、ビールを飲んだりした。そうそう、テムズの川べりにあるパブで「はい、エーゴの練習。オーダーしてきて」とワシに教育的配慮を示してくださいましたな。ロンドンがはじめてだったワシの背中をつたった冷や汗と、頬に感じたテムズ川を渡ってくる晩夏の風の心地よさを、いま懐かしく思っておりますよ。

最後にお会いしたのは、初夏の「なだ○会」だったと記憶する。はじめて出会ってからこの時にいたるまで、その方は変わらない明るさを保持しておられたが、このときの笑顔が最後になるとは思ってもみなかった。

ほかにも色々と想い出があるが、もうやめておこう……困ってしまうので。

訃報をうけとったとき、『Ninagawaマクベス』が再演されている劇場の近くにいた。そこからオジイチャンに電話をした。不在だった。折り返し電話をうけたときにはもう夕闇の状態になっていた。事情を伝えると、ご存知なかったオジイチャンは「あ、そうか」とおっしゃった(と思う。というのは、まだ10日ぐらいしか経っていないのに、はっきりと思いだせないので)。不意に眼がしらが熱く……。ワシは「ではない」方のニンゲンだが、とりあえず長生きしようと、オジイチャンの一言を聞いて思った。

本日はその方の誕生日らしい。誕生日、おめでとうございます。明日締切の文章が完了したので、つぎは『じゃじゃ馬ならし』で文章をでっち上げる計画をこれから立てるつもりです。「ではない」方のニンゲンなので、これからも頑張りませんよ。

Buon compleanno e grazie mille: KK.
Lei è nelle mani di Dio.... sono molto triste....

またお会いしましょう……。