いちどだけのサヨウナラ

訃報がまいこむ。かつて同じ組織に属していた数の学を講じる方が先月旅立たれたそうだ。その方は、定年間近に大病を患い、そっと自ら姿を消すことを選択された。人づてに聞いた話では、大病を患っているということを医者に告知される以前に、すでにご本人はそのことを自覚されていたそうだが、ご家族の看病を自分が請け負っている手前、おのれの治癒を優先するわけにはいかず、ギリギリのところにいたってようやく医者の手に身をゆだねることになったそうだ。その方は寡黙を信条としているかのようで、ご家族のことはおろか、ご本人のことさえ一切口にせず、おのれがすべき仕事を遺漏なく行い、病の身でありながらも酒席にまで律儀に名を連ねておられた。自らが突然姿を消したことによって、同じ数の学を講じる方々に迷惑をかけたと思ったのか、ある日、お詫びの贈り物が各人に届けられたこともあったそうだ。ワシは日常的に親しく会話させていただくような間柄ではなかったが、酒席で対面になることが多く、実際、そっと姿を消される直前の酒席でも、そのような位置関係で同じ時を過ごしていた。それと、同じ種類のシャープペンシルを使っていた。それゆえにか、数の学を講じる方々にだけ、折々で伝えられるその方のご様子にそっと耳を傾けさせてもらったりもしていた。多言を弄しはせず、ここぞというときにのみ口が開かれるような方であった。「さよなら」を言う機会を欠いたままの長いお別れとなってしまったが、もしかしたら、これでよかったのかもしれない。ただ、そのような安堵感は、寂寞とした感情を余計に煽り立てるものですな。いちどだけ言わせてください。さようなら。

RIP: Professor T...