Anne Barton

早朝、Anne Bartonの訃報にふれる。ついに来たか、という印象にとらわれる。

Bartonが名古屋で講演をしたとき、ワシはまだこの世界に入っていなかったし、その後も、このCambridgeの碩学をお見かけする機会すらなかったが、彼女の話はオジイチャンからちょくちょくうかがっていた。そのレクチャーが威厳に満ちたものであり、彼女の語りを阻害する喧騒などレクチャー・ルームには存在しなかったこと、オジイチャンのために彼女が提供してくれた大学のゲストルームのベッドには天蓋ついていたこと、お茶を飲みながらJohn Kerriganを交えて3人で『ソネット集』の話をしたこと、根付の収集を趣味とされていること、などなど。これらの話を聞いていた当時、学生であったワシは、そこになにかの中心が鎮座しているように感じた。だが、ワシがいちばん驚いたのは、M.C. Bradbrook直系のシェイクスピア批評を体現する存在、あるいは、Cambridge的なシェイクスピア批評を体現するような存在であると感じていたAnne Bartonが、アメリカの出身であるということであった。「あの人は少しとっつきにくいところがあるからね」というオジイチャンのことばが、耳にひびく。心よりご冥福をお祈りする。

勉強をしなければ、という焦燥にかられながら、会議をぼんやりと過ごす。

さよなら……。