色色

6日。本日ハ色色ナ雑務デ終了ス。

コレ日常ナリ……。

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5日。昨日は湿度が高くて汗を玉のようにかいてしまい、東の京への不快感が漠然と惹起されてしまったし、今日はそれに加えて帰巣本能までもがなんとなく目覚めてしまったので、早々に新幹線に乗りこんで研究室への帰還を試みる。たどり着いた先は意外に涼しい。

千ビキ屋のマンゴーを使ったお菓子、美味。

なんでやねん……。

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4日。新幹線のなかで『私小説』を読了する。

自分が東洋人であるのを知る驚きとは、それは西洋人から、あなたは向こう側の人間です、と私から見ても向こう側の人間と一緒くたにされてしまう驚きであった。しかも、私自身彼らではないことを幸せの一つとひそかに数えている人間と一緒くたにされてしまうことに対する驚き−−そして屈辱であった。(254ページ)

But you know, loneliness is the very condition of a writer. (Madame Ellman)(380ページ)

Free but lonely.
実際、二つの言葉のどちらを最後にもってくるかで淋しさの質がちがってくるのであった。(408ページ)

シェイクスピア『夏の夜の夢』@東京芸術劇場。通常この芝居で眼がひきつけられることになる妖精たちのしなやかな運動性よりも、魔法がうみだす恋人たちの混乱や芝居上演にとりくむ職人たちの愚鈍さなど、繊細さとは無縁の粗野なドタバタ性の方が目立っていて、コトバの正しい意味で喜劇が舞台上でくりひろげられている。すべて男性によって演じられていることは、ときに同性愛的に、ときに卑俗にうつるが、大方は喜劇的笑いの範疇におさまるものであったと言えるだろう。黒人男性に女の子役を演じさせてfairというコトバに厚みをもたせていたこと、背がひくいと言われて烈火のごとく怒る女の子を演じていたのが実際に背の低い才気あふれる俳優であったこと、微妙な効果音の使い方が巧みであったこと、台詞まわしのテンポがよいこと、など全体的に周到な芸達者ぶりが印象に残る。ロンドンと東京でこれまで3回ぐらいはこの芝居の上演につきあったことがあるが、そのなかではいちばん良かったように思う。ただ、座席が協会関係者席だったので、周りを見回してなんとも居心地の悪い思いをする。となりのとなりは元会長。

終了後ロビーで座っていると、この劇場の芸術監督に就任したばかりの演劇人ノダ秀樹と、女優松金ヨネコと、(おそらく)詩人谷川シュンタロウが談笑している光景を眼にする。少したつと見知らぬヒトビトがノダに群がりはじめ、いくつかの名刺が飛び交いはじめる。あああ嫌なもの見てしまったと思う。

久方ぶりにToo Japanese, too Japanese!……。