記憶のなかの芝居

20日。『赤道の下のマクベス』@新国立劇場。個人の意志ではどうにもならないような歴史のうねりに絡みとられ、あげく死をつきつけられた状態にある者たちが営む最後の生が舞台上でくりひろげられる。幕があがるとメイン・キャストは入退場なしで終幕まで舞台上に居つづけることになるため、さぞかし緊張を強いられたことだろう。

ただ、たったいま「歴史のうねりに絡みとられた」と記しはしたが、『マクベス』を熟読した者を演じる役者の口からは、死をつきつけられることになってしまったのは「仕方がなかったこと」ではなく、マクベス同様に「みずから選択したこと」なのだ、と語られるので、「絡みとられた」という物言いは、ひとつの側面を言いあてた言葉でしかない。件の者は、『マクベス』の読解によって、自分たちが置かれたいまの状況は「選択したもの」なのだ、という認識にいたるのだが、この言葉を客席で耳にしたとき、「仕方がなかったこと」と「みずから選択したこと」のあいだでしばし思考が停止する思いがした。

それはそうと、『焼肉ドラゴン』にひきつづき、左眼から滴がおちる。覚悟はしていたのだが、滴がおちる。平田満が「オヤジの代わりに……」と言った瞬間に、左眼から滴がおちる。実は、この場面にいたるまえにもうすでに滴が落ちている。

それはそうと、鄭義信は個人的に思い出深い劇作家のひとりにほかならない。記憶が間違いでなければ、いちばんはじめに舞台で見た芝居の作者が鄭だった。むかし劇場中継のようなテレビ番組があって、あるとき、眼帯をした「まひる」という女性と下半身が獣の恰好をした男性が登場する芝居が放映されたことがあった。そのときは、それを上演していたのが「新宿梁山泊」という名前の劇団であったということと、その芝居がとても美しかったということぐらいしか記憶していなかったのだが、それ以外に、なにやら名状しがたい気持ちも残った。そんな気持ちを保有しつつ、もういちどこの芝居を見てみたいと漠然と思っていたところ、「新宿梁山泊」が近隣都市で芝居を上演するというのを知るにおよび、ひとりでチケットを買って観に行った。そのときの演目は『愛しのメディア』だった。実はテレビで見た芝居のタイトルを失念してしまっていたので、「もしかしたらテレビで見た芝居かな」と思って『愛しのメディア』を観に行ったのだが、違った。それでも、『愛しのメディア』という作品から言い知れぬ熱量を感じて、終演後のロビーで鄭の戯曲集を買った。それには自筆サインが書かれていて、とてもうれしかったのを覚えている。インターネットの時代になって、あのときテレビで見たワシの記憶のなかの芝居がなんであったのか、容易につきとめることができた。それは『ジャップ・ドール』という芝居で、先述した女性を演じていたのが夭折した金久美子、男性を演じていたのが六平直政だった。どうやら1991年のことだったらしい。そして、この芝居をしたためたのが、その後『赤道の下のマクベス』の劇作家になる人物だった、というわけなり。『ジャップ・ドール』は戯曲が出版されていないようで、残念なり。

それはそうと、『焼肉ドラゴン』は映画化されるそうですね。左眼から滴がまたおちるわ。

眠い……。