地獄篇

イーヴリン・ウォー『ご遺体』(光文社古典新訳文庫)、ダンテ・アリギエリ『神曲ーー地獄篇』(講談社学術文庫)を読む。

 

我が師はその時、右の

頬を見せながら後ろを振り向き、私をじっと見て、

それからおっしゃった。「書き留める者はよく聞いているものだ」。

(第十五歌97-99行)

 

そうでしょうね。

 

あることについて、「この人10年以上前から同じことしか言っとらんな」と思ったしだい。端的に言って、不勉強だな。

 

またしても遠隔授業に疲労……。

何十年ぶりに……。

リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒ーーアリストテレス再発見から知の革命へ』(ちくま学芸文庫)。500ページ読むのはシンドイが、信仰と理性をめぐる歴史はとても面白かったし、勉強になった。ロジェ・シャルチエ『書物の秩序』(ちくま学芸文庫)を最初の2章だけ。いまさらながら、なんとなく『鬼滅の刃』を読みはじめた。幼少期には狂ったように漫画を読んでいたので、「漫画を1冊買ったら、つぎは普通の本を1冊買って読むまで、漫画は買ってはダメ」と母親に厳命されたことがあったのを思い出した。そんな漫画も、あるときからパタリと手にとらなくなり、その後数十年がたった。今回、『鬼滅の刃』を読みはじめて一番驚いたのは、漫画の単行本1冊が400円ということだった。この数十年であまり値上げされることはなかったのだろうか。この価格で漫画家たちは十分な報酬を得ているのであろうか。オジサンは気になってしまった。うちの息子は富岡義勇がいちばん好きらしい。

 

全集中で勉強する……。

引越しでおかしくなる

約20年間いた研究室を今週末までに出なければならないので、先月の13日から延々と引越し作業をしている。物品といっても、本以外にはめぼしいものはないので、その本を段ボールにいれて、台車にのせ、新しい校舎のなかの新しい研究室に運んでいくだけなのだが、1日2往復するだけでも頭がおかしくなる。頭がおかしくなりっぱなしの状態でここ1か月を過ごしてきたわけだが、ようやく本日すべての本を運び終えた。この間、捨てたり、あげたり、売ったりした本は数知れず、なのだが、それでも新しい研究室の本棚にはすべて収まりきらないので、本の入った段ボールが床をうめつくしつつある。あああ、嫌になってしまう。とりあえず、古い研究室から本がなくなったので、変な充実感を感じ、部屋にひとつ残ったPCでいまこれを書いている。引越しは大変だな。

 

つかれた……。

『カンマの女王』

メアリ・ノリス『カンマの女王ーー『ニューヨーカー』校正係のここだけの話』読了。横書きの日本語のためか、読了するのにかなり時間がかかったな。校正のお話なので、校正的な指摘をしてみると、本文最後から2ページ目のうえから5行目「……して食らついていれば、……」は、「食らいついていれば」の間違いだと思われます。無粋な指摘をしてしまった。

 

引越し疲れMax……。

チョーサー・ゼミ

ラドヤード・キプリング『少年キム』、G・K・チェスタトン『木曜日だった男--一つの悪夢』、戸田山和久『教養の書』、ピーター・W・M・ブレイニー『シェイクスピアのファースト・フォリオ』、冨樫剛(編)『名誉革命とイギリス文学ーー新しい言説空間の誕生』。再読をふくめて1月に読んだ和書は、こんなところだったように思う。

 

昨年から2週間に1度のペースで、Geoffrey Chaucer, The Canterbury TalesのGeneral Prologueを、オジイチャンと2人で読んでいる。「2人で」と言っても、ワシが朗読して訳して文法の説明をしてお叱りを受けるというかたちなので、20年前に経験済みの大学院ゼミのような感じ。まずはワシがお土産として持参するお饅頭なり大福なりを2人して食べたあとで、ゼミははじまる。その間、オジイチャンが紅茶をいれたり、コーヒーをいれたりしてくれる。無駄話も含めて、だいたい2時間半が経過したころにお開きとなる。20年まえのゼミと同様に、このチョーサー・ゼミも、終わってオジイチャン宅の扉を出ると、ホッと安堵し、ドッと疲れる。それでも、徐々にではあるが、チョーサーならびに中英語はなかなかに面白いということがわかってきた。

 

あけましておめでとうございます……。

八月の終わりに

31日。月末締め切りの案件2つが片づく。ひとつは地雷を踏んだようなもので、もうひとつは贖罪をかたちにあらわしたようなものなり。

* * *

26日。久しぶりにオジイチャンに会う。だいたいはお互いの(不)健康の話をしたのだが、某氏の信義にもとる振る舞いについて耳にする。オジイチャンはいまでも怒っているようだ。

 

うちの息子氏は最近電車にはまっている。駅から徒歩5分圏内のところに引っ越したこともあり、息子氏が保育園から帰宅してくる頃合いにワシも家にたどり着くように帰ると、ほぼ毎日いっしょに電車を見に行かされる。線路脇で息子氏を肩車しながら、およそ30分間電車を見ながら息子氏の会話の相手をする。ワシの顔面には当然玉のような汗が噴き出る。「もう帰ろうか」と言っても、お目当ての電車がくるまで息子氏は「うん」とは言わない。仕方がないので、「コンビニによって帰ろうか」などと言って誘い出すと、ようやく帰る気になってくれる時もあるのだが、約束どおりにコンビニに立ち寄ると、息子氏は惜しげもなくカゴにハーゲンダッツを何個も投入していく……。もう少し単価の安いアイスクリームにしてくれませんかね……。そのハーゲンダッツ、期間限定のパイナップル味が終了してしまったようで、これをお気に入りにしていた息子氏は、いつも「あれ、パインがない……」と言って、一瞬さみしそうな表情をうかべる。ただ、それもつかの間で、次の瞬間には、「バニラと、ストロベリーと、クッキーと……」とつぶやきながら、カゴにハーゲンダッツを何個も投入していく……。もう少し単価の安いアイスクリームにしてくれませんかね……。

 

暑い……。

ホンモノが寄せていく

坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書)。なんとなく手にとって、なんとなく450ページを読んでしまう。原敬のイメージが悪い方へと変わる。高山宏『庭の綺想学』をペラペラとめくるにとどめる。Robert DaborneのThe Poor Man's ComfortとA Christian Turned Turkを読む。Daborneの芝居はこの2つ以外現存していないので、もっと読みたくても不可能なり。Carmelo BeneのSono apparso alla Madonnaがもうすぐ英訳されるので、待ち遠しい。仮に英訳するとしたらEmpressとでもなるのであろうか、巷で評判の某女史のbiographyを読んでみようかと思ったが、同じ著者がかつてしたためた銀座のマダム伝の方に興味が向いて、そちらを発注してしまう。誰もが気が付いているように、某女史は、某エレキテル〇〇の人がやっていたモノマネの方にどんどん接近してきている。ホンモノがモノマネの方に寄せていっているような……しかも、モノマネの方をテレビで見る機会がもうなくなってしまった今になって……。

 

授業準備で死んでます……。