つまらない日々

チケットをとった芝居がどんどんキャンセルになっていくので、なんともつまらない日々を過ごしている。「チケット抽選にあたりました」というお知らせがきた48時間後に、「全公演が中止になりました」というお知らせがやってくるので、なんともつまらない日々を過ごしている。

 

オンライン会議なるものにスマホで参加してみたのだが、こちらの想定以上に相手方のPC画面にワシの顔が「どアップ」でうつっていたらしい。ハラスメントの意図はなかったのだがな……。これだから機械は信用がおけぬ、と昭和の人みたいなことを言ってみる。実際、昭和の人なのだが……。

 

小池寿子『死者たちの回廊ーーよみがえる「死の舞踏」』、ドニ・ド・ルージュモン『愛について』上・下巻、ホイジンガ『中世の秋』上・下巻、若桑みどり『絵画を読むーーイコノロジー入門』、M・H・ニコルソン『暗い山と栄光の山』といった学部時代に読んだ古い本を、あらめて読んでみた。

 

とにかく眠い……。

 

Chaucerと志賀氏

毎日、なんとも退屈だな。

John Fletcher, Wit without Moneyを読んでいるのだが、いまいち面白くない。なりゆきでGeoffrey Chaucerを読むことになり、The Riverside Chaucerをひっぱりだしてきたのはよいのだが、まったく太刀打ちできないので、Chaucer's Canterbury Tales (General Prologue)(Kenkyusya)という市河三喜編纂本と、『チョーサーの英語--発音と形態』(松柏社)という本を買ってみた。中英語、大変、大変。

 

本日、志賀廣太郎氏の訃報に接した。かつて青山円形劇場岸田國士作の演劇を見たときに、氏も出演されていた。和装で、若い俳優たちと同じように滑稽な振り付けというか踊りを披露されていて、とても愛らしく感じた。演劇としては、あとにも先にも、このひと公演しか接する機会がなかったのは残念だが、氏の記憶は、青山円形劇場の舞台とともに消え去ることはないだろう。ご冥福を心よりお祈りいたします。

 

Grazie mille……。

なんたる奇跡

3月27日。オジイチャンと会う。元気そう。Petrarcaの話をしたり、マンションの話をしたり……で2時間。Chaucerを読まなければならないような雲行きになってきたなり。

* * *

3月14日。『十二夜』@本多劇場。ウィルスの影響で公演中止なり。

* * *

3月11日。まだ記すことができないものの、情熱氏から驚きのニュースが到来する。なんたる奇跡。

* * *

2月19日。『ヘンリー八世』@彩の国さいたま芸術劇場。ウルジーになにかが足りないように感じたのだが、それが判然とせず。クランマー、若いな。ところで、観客席にroyalな方たちがおられたので、びつくり。

* * *

2月18日。『泣くロミオと怒るジュリエット』@シアター・コクーン。タイトルにもうひとつくわえるとしたら「死ねなかったティボルト」だろうか。秀逸。ロミオ役の方がふむステップがなんとも軽やかだった。なるほど、氏はジャニーズの方なのね。

 

奇跡……。

グッドバイ

2月12日。約1年後に研究室のお引越しを控えているので、本の整理をしているのだが、やればやるほど嫌になってくる。面倒至極。

* * *

2月5日。『グッドバイ』@シアタークリエ。演じる役者たちが若いということもあるのだろうが、初演に比べると、いっそうポップな恋愛劇に様変わりした。キヌ子役のソニンはなんというか土着性が増した演技を披露し、田島役の藤木にいっそう脆弱な印象を添えていた。ただ、いちばん面白いと思ったのは、背景にある3層になった舞台装置で、3層自体には特段なにも思わなかったのだが、この3層を隠す覆いの模様が「原稿用紙」の柄になっていたことに、「なるほどね」と思ってしまった。太宰治の原作をベースにしているからか、それとも、田島の職が雑誌の編集長だからか……。ワシが原稿用紙を使用してレポートを書いていたのは、学部3年生ぐらいまでであったろうか……。

 

グッドバイ……。

 

あけましておめでとうございます。

今日で1月が終わるのか。あけましておめでとうございます。コングリーヴ『世の習い』(岩波文庫)を読んだことは記憶しているのだが、それ以外はなにを読んでいたのやら。19日に9年以上暮らした仮住まいを離れ、別の場所に自宅をかまえることになった。お願いした引越し業者さんは、冷蔵庫やベッドなどを事もなげに運び出して、アッというまに部屋のなかを空っぽにしていく。なんとも手際がよい。それにしても、もう引越しはしたくないな。大変、大変。一応2日かかけて掃除をしたので、それなりの誠意ととともに仮住まいを返却するが、わが家のバンクシーならぬ息子氏が壁やドアにクレヨンで落書きをした跡は消すことができなかった。9年間、ありがとう。次の家主にも大切にされてください。

 

老眼が深刻になってきた。なんども見直して「これで大丈夫」と思った原稿に、脱字が2か所もあったことをご指摘いただくくらい眼がダメになってきている。この春に老眼デビューするしかないな。

 

うまいものが食いたい……。

Qなど

12月22日。息子氏を田舎の家に連れていく。クリスマス・パーティーだったのだが、ケーキのうえのイチゴをたいらげ、プレゼントをいただくと、息子氏はそうそうにクリスマス・モードから脱して、味付け海苔や卵焼きを食べはじめる……。

* * *

12月7日。一年に一度しか会わない先生のところに行く。今年も先生は某ジャズ・ミュージシャンに似ていた。その後、大学に移動して補講をこなす。その後、別の大学に移動して、比較文学支部大会のシンポジウムを拝聴する。残念ながら、前半部分しか聞けなかったが、旧知の先生方のお姿を久方ぶりに拝見できてよかった。事務局の先生は大忙しという感じだったので、「ご苦労さまです」とココロのなかでつぶやいておいた。

* * *

12月1日。『Q』@東京芸術劇場。本人確認は鬱陶しい。それはさておき、「どうしてこんなにも退屈に感じてしまうのだろう」と思いながら芝居の大半を見ていたのだが、最後に松が手紙を読む場面でいささか救われる。「名をすてる」ということを「無名戦士」にアクロバティックに連結させていく展開に不都合は感じないのだが、「〇〇〇なのです……」的なセリフを介入させて芝居を動かしていくそのやり方に多少の退屈を感じてしまうのでしょうかね。それにしても、スタンディング・オベーションでカーテン・コールを4回もやるような内容ではなかったと思うぞ。そして、だれもが感じたように、音楽の選択は間違っている。広瀬はこれが初舞台らしいが、舞台上のふるまいから、とても頭の良い方のようにお見受けした。野田を模倣しているのか、あるいは、野田にそう演出されているか、羽野の演技は野田のものに接近しすぎていたように思う。

 

よいお年を……。

芝居2つ

11月19日。『ドクター・ホフマンのサナトリウム--カフカ第四の長編』@神奈川芸術劇場。それほど多くはない観劇経験のなかで、ワシはいちども遅刻というものをしたことがない。今回は危うく遅刻しそうだったが、なんとか開幕1分前に滑り込むことができた。なにせ、新横浜駅からは「みなとみらい線」に乗ることはできないこと(そもそも、新横浜駅横浜駅が違うということ)に気がつくのに時間を要してしまい、地下鉄の最寄り駅から10分ぐらいという道案内を頼りに劇場まで歩きはじめたら方向感覚を失ってしまい(結局、逆方向に歩いておったわ)、仕方がないのでなんとか見つけた「みなとみらい線」に乗って、最寄駅でおりて歩きはじめたはよいものの、またしても劇場とは逆方向に向かって歩きだし、それに気がついて劇場に向けてダッシュをし……。座席についたときには、汗だくでございました。

 

かつて同じ劇作家の作品に出演していたときの瀬戸康史を見たときにも驚いたが、今回も前回以上に驚いた。それぞれ別の引き出しが開示されるかのように、 演じる役ごとに特徴が変化していく。実は瀬戸康史の演技が見たくて行ったようなものなのだが、汗だくになりながらも劇場までたどりつけてよかった。多部は、あんなに小さい方だったのですね。以外でした。渡辺の芝居は力がこもっていたが、ワシには違和感なく受け入れられた。

 

なんだろう、芝居は自由を感じさせてくれるな。

 

* * *

 

11月2日。『終わりのない』@世田谷パブリックシアター。主人公の少年がワイヤーで宙づりにされて、海のなかに沈んでいく幕開きの場面を見たときには、「これは」と思ったが、その後、どんどん……。「これは僕の話」でとどめておくことはできなかったのか。「これは人類の話」などと少年の口からわざわざ語らせる必要などなかったのではないか。世の中は「大きな物語」を求めているのか、それとも、はっきりと明言しなければならないくらいに観客の想像力は貧困化しているのか、いずれにしても退屈だな。

 

ねむい……。