芝居2つ

11月19日。『ドクター・ホフマンのサナトリウム--カフカ第四の長編』@神奈川芸術劇場。それほど多くはない観劇経験のなかで、ワシはいちども遅刻というものをしたことがない。今回は危うく遅刻しそうだったが、なんとか開幕1分前に滑り込むことができた。なにせ、新横浜駅からは「みなとみらい線」に乗ることはできないこと(そもそも、新横浜駅横浜駅が違うということ)に気がつくのに時間を要してしまい、地下鉄の最寄り駅から10分ぐらいという道案内を頼りに劇場まで歩きはじめたら方向感覚を失ってしまい(結局、逆方向に歩いておったわ)、仕方がないのでなんとか見つけた「みなとみらい線」に乗って、最寄駅でおりて歩きはじめたはよいものの、またしても劇場とは逆方向に向かって歩きだし、それに気がついて劇場に向けてダッシュをし……。座席についたときには、汗だくでございました。

 

かつて同じ劇作家の作品に出演していたときの瀬戸康史を見たときにも驚いたが、今回も前回以上に驚いた。それぞれ別の引き出しが開示されるかのように、 演じる役ごとに特徴が変化していく。実は瀬戸康史の演技が見たくて行ったようなものなのだが、汗だくになりながらも劇場までたどりつけてよかった。多部は、あんなに小さい方だったのですね。以外でした。渡辺の芝居は力がこもっていたが、ワシには違和感なく受け入れられた。

 

なんだろう、芝居は自由を感じさせてくれるな。

 

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11月2日。『終わりのない』@世田谷パブリックシアター。主人公の少年がワイヤーで宙づりにされて、海のなかに沈んでいく幕開きの場面を見たときには、「これは」と思ったが、その後、どんどん……。「これは僕の話」でとどめておくことはできなかったのか。「これは人類の話」などと少年の口からわざわざ語らせる必要などなかったのではないか。世の中は「大きな物語」を求めているのか、それとも、はっきりと明言しなければならないくらいに観客の想像力は貧困化しているのか、いずれにしても退屈だな。

 

ねむい……。