破壊と無意味

3日。13時から2時間半ほど、名ばかり氏、一生懸命教育やってる人、会議で眠るのを得意とする人、ワシの4名で会議。無意味とは、そこにあると信じていた意味を突如見失ったことから生じる絶望的な盲目ではいささかもなく、ひとつの意味へと収束させようとする意志を放棄したことから生じる野放図な意味たちの祝祭だということを実感する。その後、お嬢さんの労働怒り話を聞く。「お互い大変ね、お互いちょっとは大人になったね」と語りあう桃の節句の夕べ。

問題山積……。

* * *

2日。午前中は長文メールを多数とばして議論する。午後は授業スキル系のシンポジウムを拝聴する。テーマは「考える」と「覚える」。予想外に盛況だったので「こなくてもよかったな……」と思っていると、こちらのココロの内を見透かしたのか、いきなりコメントを求められる。「考える」と「覚える」という二項対立には収斂されない視点として、あるいは、この二項対立を成立かつ破綻させる基盤として、われわれが授業で教えていることが学生に正確に伝わっているのかどうかという点をまず確認する必要があるのではないか、と述べる。「これまでの議論を最後に破壊してしまうような発言だっかも……」と、あとで少し反省する。その後、ワシの研究室でシンポジウムのスピーカー某氏と2時間以上話す。

悪意はありません……。