最後のコトバ

31日。いまこの瞬間に2008年が終わろうとしている。

『凡庸さ……』を読了する。今年最後の読了本。このなかに引用されていたM・Fのコトバにココロがときめく。律儀にそのコトバを引用するのは無粋以外のなにものでもないと思い、そっと自分だけでそのコトバをかみしめる大晦日の夜。思えば、今年は批評のあり方について逡巡した年であった。本を買い、本を読み、本に思いをめぐらすものにとって、今日と明日を隔てるものなどなにもない。

おしまい……。

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30日。正確には帰省ではないが、帰省ラッシュにまぎれながら、いかにも帰省ラッシュの一構成要素に成りすまして帰宅する。「塩ひよこ」と「塩豆大福」をお土産とする。東の京で仕入れたものについては、また後日。

現実の回帰……。

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29日。東の京で研究会2日目。朝、おじいちゃんに電話をし、その後ホテルを出てスタバで読書をする。スタバを出ようとして後片付けをしていたら、シロップの入った瓶をうっかり落として割ってしまう。お店のお嬢さんにおわびする。口では「大丈夫ですよ」と言いながらも、瞳が雄弁に「この年末に煩わしいことしやがって……」と語っている。その後昨日同様に、研究会と忘年会。

学ぶ年末、つづく……。

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28日。東の京で研究会。抑圧されている者を発見しようとする文化左翼的批評の行き詰まりが指摘される。このような批評に代わるものを提示することが、ワシの世代の文学研究者に求められていることなのだが、頭で理解はしていても、これを実践するのはなんとも苦しい。文化左翼的批評を再生産してしまう行為を許容し、それを良しとはしないまでもこの再生産行為を不問のままにしている構造を、ハスーミならば、凡庸さと言ってのけるのだろう。あらためて言うまでもないことだが、凡庸さを手放そうとする身悶えを、抑圧されている者への抑圧行為の是認と混同してはならない。この2つが等式で成立するところに、身悶えなど起ころうはずがないのだ。

学ぶ年末……。