強靭な伯父

1日。新年度開始。非常に眠い。

最も残酷な月……。

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31日。2週間ほどまえに突然やって来た女性が、またやって来た……【以下、省略】。その後、某女史のために珍しいメンバーでケーキを食す。

舌禍ではなく絶佳……。

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30日。早々に東京をあとにする。

さよなら明神様……。

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29日。10時すぎに神保町のスタバに入る。コーヒーを手にして椅子に座ったあと、何気なく見た携帯の画面に「着信履歴1」とあるのに気づく。それが誰からのもので、何を告げる知らせなのか、「着信履歴1」という表示だけで瞬時にわかる。

伯父さんへ

ここ数日、東京にいました。ホテルの近くに神田の明神様がいらしたので、柄にもなくお祈りなどしてしまいました。満開とまではいかない桜のしたには、もう夜11時になろうというのに和装の男女が一組いて、静かに写真をとっていました。女に見返り美人図のようなポーズを要求している男の様子が、滑稽と言えば滑稽に感じられました。桜だけが夜のライトに照らされて饒舌な輝きを放っていました。

伯父さんにとっては妹であり、わたしにとっては母親に位置する人物が手術をしたとき、それが最後の時になってしまいました。そのときの伯父さんは、汚れた仕事着に安全靴といういでたちで、汗にまみれた髪と黒く汚れた手をしていました。病室という場所にはおよそ不似合いなその姿を見て、不思議とわたしは安堵の念を抱きました。己の日々の労働の印を隠し立てしようなどとはなんら思わず、また、術後の人物を見舞うに際してことさら神妙さを気取ってみようなどともせず、ただ日々の延長として病室に「ちょっと顔を出した」ぐらいの微かな意味づけを与えることで、その場の常ならざる雰囲気を日常という名の安堵感で色づけしてくれました。それは言葉の真の意味で「ちょっと顔を出す」行為でありましたが、わたしにはそれがとてもありがたく、また、偉大な行為のように思われました。むしろ、その虚飾なき誠実さをまえにし、大仰な感情に浸る己を恥じ入ったと述べる方が真実に近いかもしれません。そのとき、まぎれもなく人の強靭さに触れた思いがしました。ピエール・パオロ・パゾリーニならば、ただちにミューズを召喚して美しいフィルムか詩を生み落とすことになるような、そんな奇跡的な遭遇の機会でした。

その身を癌に犯され、余命が3ヶ月であると知らされたときに脳裏をよぎったのは、伯父さんのそんな強靭さでした。西の京にある三十三間堂では心の安らかならんことを祈り、東の京にある明神様では魂の鎮まらんことを祈りましたが、俗物の祈りでは詮無きことだったかもしれません。病床にあっても家族のことを心配していたと、件の人物が呆れたようにわたしに幾度も語っていました。それを聞いて、伯父さんの強靭さにはかなり不似合いな祈りをしでかしたものだ、とまたしても恥じ入ったものです。わたしのような弱い人間は、祈らずにはいられなかったのです。困ったものです。

東京には研究会で発表するために行きました。3日ぐらいで用意した発表なのに皆さんから好意的なご意見をいただきました。それが少し励みになりました。また頑張ってみます。

いーちゃん、それでは、また。
AK
合掌……。