イヤフォンという最後の砦

今日も午前2時半。

新入生を対象とするあるクラスで、片方の耳にイヤフォンをつけたままワシの授業をうけている学生がひとりいる。はじめは両耳にイヤフォンを装着して寝ていたので注意をしたのだが、そうしたら、その翌週から寝ることなく授業はうけているものの、片耳にだけイヤフォンをつけるスタイルに変更してきた。ワシはそのスタイルを見たとき、なにか無性に虚脱感をおぼえ、以前したように注意することが馬鹿げた行為であるかのように思われてしまった。どう述べたらよいのかわからないのだが、そのようなスタイルをとる者にはなにを言っても無駄なのではないか、と思ってしまったのだ。それと同時に、そのスタイルからはなにか名状しがたい無気味さも感じられた。仮にその学生にふたたび注意のことばをあびせ、片耳からイヤフォンを抜かせたとしたら、その瞬間にその学生のなかにあるなにかが壊れてしまい、彼をとりまく世界も崩壊してしまうのではないか、と思われたのだ。その片耳に装着されたイヤフォンは、怠惰や反抗心などといった否定的なものの発現としてあるのではなく、彼をこの世界につなぎとめておくためのささやかな接点として、あるいは、彼の体内にある過剰さが体外に横溢して世界を無に変貌させてしまうことを防ぐ最後の砦として、つまり、彼にとっては肯定的な機能を担うものとしてあるかのように感じられたのだ。〈現実界〉をおしとどめるための〈象徴界〉の最後の戦い……。ワシが感じた無気味さは、その学生の過剰さ/〈現実界〉のかけらだったのかもしれない。その学生は授業が終わって教室から出て行くときに、かならずワシに「ありがとうございました」と述べていく。その「ありがとう」を耳にするたびに、ワシは「(今日もニンゲンとして生きるうえでの最後の砦をまもる僕の孤独な戦いを静かに見守ってくれて)ありがとう」と言っているかのように聞こえてしまう。まあ、ワシの思いすごしでしょうが……。

addio……。

おやすみなさい

5月26日。マーティン・マクドナー『ハングマン』@世田谷パブリックシアターマクドナーを見るのは、おそらくこれがはじめてだと思う。ちなみに、不勉強ゆえ、戯曲は読んだことがない。これが初舞台という娘役の女の子も、無気味な男役の大東も演技が秀逸だと思った。宮崎吐夢は演じる役ごとに印象が変わる役者だと思った。ただひとつ不満なことがあったが、それはこの芝居そのものにとっては付随的な事柄なので、口をつぐむことにする。それはそうと、劇場近くのブックオフ小池滋『ゴシック小説をよむ』(岩波書店)があったので、思わず買ってしまった。まあ、仕方がないわね。

* * *

5月25日。オジイチャンと久しぶりに昼食をともにし、とても切ない話をうかがう。ご本人は「明日東京に久しぶりに行って、○○さんに会うんだ」と楽しそうに語るのだが、切ない話が脳裏から離れず、孫にでもなったような気になって、「僕でお役にたてることがあったら、なんでも言ってください」と不意にコトバが口から出てくる。よくよく考えたら、オジイチャンと出会ってもう四半世紀になるのか……。まあ、ワシも年取るわね。

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だいたい午前3時就寝生活が継続しているので、そのうち精神が崩壊して荒野に向けて突然走り出したりするのではないかと危惧している。パゾリーニの映画『テオレマ』のラストシーンでは、たしかブルジョワのお父さんがいきなり駅で服を脱いで全裸になり、おのれの周囲に茫漠とした荒野の風景を幻視することになったのではなかったか……。ワシは駅で全裸になるほど荒野を欲してはおらぬ、と信じたい。まあ、疲れているのはたしかだわね。


あなたはちゃんと寝てください。

good night……。

病んでるの?

午前3時が定番化しつつありますな。

最近は本を読んで考える時間が本当に1日に1時間ぐらいしかない。早朝6時から深夜3時まで眼をあけて生きているのに、1時間とは……。まあ、仕方がないな。1時間で6時間ぐらいの効果をあげた気分になっておく。病は気からだ。え、ワシ、病んでるの?

その1時間をつかって結構まじめに読んでいるのは、某カタログなり。

元気があればなんでもできる……。

午前3時半の憂鬱

午前3時半。今日は眠ることができるのだろうか。2時間ぐらいは寝られるか。

寝耳に水の案件が突然ふってきて、怒られる。「突然そんなこと言われても聞いてないから知りません」などとは言えず、とりあえずお詫びとともに早急に対応する。ワシはなにしとるのじゃ。色々と板ばさみにあうなぁ……そして、結局ワシが怒られるのだよなぁ……。

おやすみなさい……。

書いてはいけない

本日はまだ午前1時。昨日は午前2時に寝られた(というか、知らず知らずのうちに寝てしまった)ので、4時間ぐらいは睡眠時間がとれた。どうしてこんなにやらなければならないことが多いのでしょうかね。自問自答してみるものの、それに対する答えは問うまでもなく明白なり。だが、ここにそれを書いてはいけない。あることが終了してもまだこのイラダチが残存していて、しかも、ワシが憤死していなかったならば、それについて筆を走らせてみるような日が訪れるかもしれない。

死んでしまったあの人は、いまなにを考えているのでしょうかね。いなくなってしまったあの人たちも、いまなにを考えているのでしょうかね。ワシはいまアイスクリーム食おうかどうか迷ってます。

お元気で……。

ボロボロになるまえに

ただいま午前3時まえ……。昨日は睡眠時間3時間半だったし、おそらく今日も3時間だろうから、こんな日々を送っていたら、あらゆる意味でボロボロになってしまうな。ボロボロになるまえに、アイスクリームを食べよう。

そうそう、今日事務の女子から「疲れている○○先生へ、どうぞ!」という付箋がつけられたチョコレートの詰め合わせ袋をもらった。そんなに疲れているように見えましたかな。まあ、実際に疲れているか。

悲しみよ、こんにちは。疲れよ、さらば。

おやすみなさい……。

晴れやかさが見あたらない

ただいま午前2時半すぎ。最近はかなり疲れているな。だいたい3、4時間の睡眠で毎日授業をやっているから、あたりまえか。おまけに、ついさっきまで書いていた文章も、とにかくワシを疲れさせるものだった。時宜をえぬというのは本当に醜いものですな。

「なにか晴れやかな話題を」と思ってはみたものの、午前2時半にはでてきませんな。うちの息子氏の髪の毛はクルクルしています。別に晴れやかではないか。晴れやかにアイスクリームでも食うか……。悲しみよ、こんにちは。晴れやかさよ、さらば。ふと気づく。晴れやかであったときなど、これまでにも見あたらなかったわい。

晴れやかさよ、こんにちは。武器よ、さらば……。