Addio a Fo

20日ぐらいでやってくるというので発注したのに、期限をすぎてもいまだ本がやって来ない。この本を参照しておかなければ、すでに文字は書き終わっている状態のこの「物」を手放すことができないのだが、残念ながら国内図書館には所蔵されていないので、20日以上まえに発注した本を指折り数えて待つしかない。今年出版された本だから、入手困難というわけではないが、すでに発注してしまっているので、新たに別のところに発注して本をダブらせるわけにもいかない。なにせ14000円するからな。

最近はエーゴを講ずるものたちだけの会議が開催されると、必ず終了後に「情熱氏」から長文(愚痴)メールが送られてくる。毎回同じような内容なので、開封しなくても分かるのだが、なにはともあれ、毎回同じような内容のメールに、毎回同じような内容の返信をすることに飽きはじめている。いっそコピー&ペーストで対応してもバレないのではないか、などと真剣に思いはじめているくらい、飽きている。それにしても、「情熱氏」は、いつの間にかワシが「同志」であるかのような誤解をもってしまったようで、そう遠くはない未来に、そう遠くはない過去に言われたコトバをまた耳にすることになるのであろうか、と思ったり、思わなかったり……。

図書館が廃棄したピーター・ヒューム『征服の修辞学』を引き取ったので、ひさびさにこの本を読んでいたら、昨今の言説分析論に対して不満に感じていたことが何に起因しているのか感得する。

京都の店が出張販売していたので、ティラミスを買って帰ったら、「洋酒が入っているから食べられない」とドーキョニンに怒られる。仕方がないので、2つ食す。

Franca Rameのもとに旅立って行ったDario Foのことを想う。晩年のFoはジオン公国のトップにいたオッサンの風貌に似ているような、似ていないような……。Addio a Fo。

コレステロールが減らない……。