唐澤先生の想い出

唐澤恪先生がお亡くなりになったことを知る。

大学院修士1年のときに唐澤先生のアメリカ文学の授業に出ていた。大学院にはアメリカ文学専攻の方もいらしたが、その授業にはなぜか修士1年の3人だけ(しかも皆イギリス文学専攻)が出ていたと記憶する。読んでいたのはエドガー・アラン・ポーの『ナンタケットのアーサー・ゴードン・ピムの物語』だった。あとにも先にもポーを授業で教わったのは、このときだけだった。毎時間分担があって、内容説明と、わからなかったところと、(批評するという観点から見て)面白かったところを各人が述べることになっていた。あるとき、ワシが分担したところに関して、「段落の構成がルーズで、本来ならこの長い段落を……で2つに分けてもいいのではないかと思います」と述べたら、それに対して先生は「段落というものに対する〈われわれの時代の考え方〉を当てはめて考えすぎている可能性もあるよ」とおっしゃった。歴史的差異に鋭敏であることの重要性を教わった気がした。また別のときには、その当時読んで面白いと思ったジジェク本に出てきた〈2つの死のあいだ〉という概念にもとづいて主人公ピムに関しコメントをしたら、ポーをめぐるマリー・ボナパルト以降の精神分析批評の歴史について話してくださった。知的だと思った。

一見すると強面で、いちばんはじめに教室に入ってきたときに「怖そうな人だな」と思ったことを記憶しているが、その後、授業のあいだに声を荒げることなど一度もなかった。むしろ修士1年のド素人(ワシ)の話を熱心に聞いてくださった。たしか、大学院英文学専攻の主任であるO先生とご学友で、O先生のことを「さん」付けではなく、「O氏、O氏」とおっしゃっていた。そのつぎの年も唐澤先生の授業を受講しようと思っていたが、非常勤だった先生の授業は、その年を最後になくなってしまった。とても残念に思った。

心よりご冥福をお祈りいたします。

Addio ....