舞台上の微笑み

18日。クーラー環境をとりもどす。

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17日。夕暮れ時、哲学先生に誘われて、経済学先生とともにビールを飲みに行く。理不尽な話をいくつか耳にする。

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16日。ざるうどんを食べる。

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15日。もうずいぶん前の話になる。ピーター・ブルックの芝居をパルコ劇場で見ていたことがある。役者たちのしなやかな動きと、美しい歌声によって幾分かは救われていたその芝居の最後に、幾人かの観客が役者たちに誘われて舞台上にあがる光景があった。そのうちのひとりは、それほど長身とは言えない男性だった。その男性は最前列の席についていたのだが、舞台にあげられて観客席の方に向けた氏の顔を見て、ワシは少しドキッとした。役者が氏に向かって"What's your name?"と問うと、氏からは"○○○"という短い音が発せられたように思った。はっきりとは聞きとれなかったものの、氏の発した音がなんとなくワシの頭のなかに存在していた音と合致したように思い、ワシはまたしても少しドキッとした。その短い音と、ワシが想定していた音が合致していたとしたら、氏はワシと同年輩の大変なテクニックと独自のスタイルを兼ね備えた元スポーツ選手ということになる。氏は、不幸にして、その当時ある問題をかかえておられ、巷を騒がせてもいた。ただ、「平日マチネ、招待券を握り締めながら惰眠を貪る御高齢の方々が客席を占める芝居にまさかな……もしかしたらこれから俳優業でもやろうと思って勉強のために来たのかな……単純に芝居好きかな……」とその時は思っただけだった。そして、いつしかそんなことがあったことも忘れてしまった。しばらくたって、件の元スポーツ選手が南の国で事故死したという知らせを耳にした。その知らせを聞いて、いちばんはじめに思いだされたのが、舞台上にあげられたあの男性のはにかんだような微笑みだった。舞台上にあげられた男性がワシの想定している人物であったとしたら、氏はあの当時辛い思いをしていたはずだし、さらに、舞台上にあげられて衆目に晒されるような振る舞いは躊躇するところであったはずだが、それでも、氏は舞台上でたしかに微笑んでいた。Fortunaに見放されてしまったかのような状況にあっても、微笑みをもたらしてくれるような瞬間が氏には存在していたことを思い、訃報に接した際にも、なんとなく安堵の感がわきおこってきたのを記憶している。あらためて合掌。

舞台上の男性がワシの想定している氏と別人であった場合は、「ごめんなさい」と言うしかない。これを確かめることは不可能だし、これを確かめる意志など毛頭ないのだが、舞台上の男性が示した微笑みと、南の国で事故死した才能の両方を忘れることはないだろう。

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14日。盛夏を少し通り過ぎたか。午前中からアイスコーヒー一杯で2時間ねばってOld-spelling editionにまだ手こずる。しかも、この戯曲、長い。

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13日。時節柄、実家に帰って墓に行かされたり、寺に行かされたりする。父方の祖父とは長らく生活をともにしていたが、その間にとくになにか話をしたような記憶はまったくなく、生前の氏の口から〈戦争〉に関係する事柄が家族のものに語られたことがあるのかどうかすら知らない。時節柄、祖父の戦争経験について尋ねてみたところ、「呉まで行って船に乗るまえに終戦が来た」と話していたことがあるらしい。一方、母方の祖父には写真でしかお会いしたことがない。母親が成人を迎えるまえに氏は癌を患って他界しているので、こちらの物質的存在が微塵もないときに、すでにあちらの物質的存在が微塵もない状態になってしまっていたことになる。どうやら怖い人だったらしい。こちらの祖父も「上等兵が……」などと生前口にしていたことがあるそうなので、やはり出征経験があったのだろう。「金持ちが戦争をおっぱじめると、泣くのは貧乏人なんだよね」的なことを言っていたのは、ノーベル文学賞を辞退したフランスの哲学者だったと記憶するが、貧乏人のワシはミスター・スポックが示す"LLAP"の精神を忘れずに生きられるところまでは生きたいと想う。

眠気覚ましに書いてます……。