續とある日々。

花粉も終息にむかいつつある昨今、いかがお過ごしでしょうか。

大学の蹴球部時代の旧友が訳あってまたしても集まった。「あんたのFBにはどうコメントしていいかわからん」というお褒めのことばを頂戴した。『ゴドーは待たれながら』(東京芸術劇場)を前から2列目の席で見た。2時間あまりのひとり芝居。熱演。終幕後劇場の扉を出たところでヒョロナガの男性とマスクの男性がワシの横を通りすぎていった。前者はUスケ・Sマリア、後者は有能な執事「鎌塚氏」だった。Richard Brome, The Northern Lasseを読むのに思いのほか時間がかかった。W.B.ウォーデン「アンティゴネーの骨」を読んでチマタで噂のパフォーマンス研究に少し触れた。老眼はある日突然やってくる、と先達から教わった。Richard Steeleの戯曲集を発注したのだが、まだ到着しないのでイライラしはじめた。マギーが死んだ。かつての出稼ぎ先でまき起こっている騒動を小耳にはさみ、HE会会長に労いのことばをかけた。チャーリー・パーカーの『フィエスタ』を買って、ココロが浮き立った。なにやら訳がわからん会議がいっぱいできて、面白いことになってきた。「マルチチュードはキリストではない」というトニのことばが印象的だった。堀口大學のある詩に興味をそそられた。堀口大學の詩集すら収蔵していない大学図書館があることを知って、うんざりした。早朝6時発の電車に乗ったら、「その日は朝から夜だった」というあの秀逸な歌詞のような生き方をしてしまった。

桜がきれいだった……。