エエカゲンニセイ

ご無沙汰をいたしております。ここで筆を滑らすわけにはいかない事情がありまして、ひたすら自粛して問題が沈静化するを待ちわびておりました(うそ)。

現時点でその問題が沈静化したのかどうかは不明ですが、枠組みとなる構造だけを述べさせていただくと、「冷静」と「情熱」のあいだに「会議での睡眠を得意とするオッサン、またの名をテリー」がからみ、しかも、この3者のあいだに、さらにMr President、Last Samurai先生、そのほかの常識的先生方多数が無理やりねじこまれ、挙句の果てに、ワシが無知を決め込みつつも、マルッとすべて知り尽くした状態で問題の経緯を、その構造の内部から呆れ顔で見守っていた、というようなかたちになるのでしょうか。こうして書き記すと、いかにもこれが閉じた構造を有しているかのように思われるかもしれませんが、この問題の発端である「情熱」氏が、いたるところで問題について吹聴し、この構造に亀裂を生じさせていたので、より正確にこの間の事情を言いあらわすとすれば、「冷静」と「情熱」と「テリー」というトリアーデが中心を形成する本来ならば「秘密」の構造が、情熱の吹聴によって、常識的先生方多数をまきこんだ「公然の秘密」の構造に転換させられていた、というようなかたちになるのでしょうか。そして、その「公然の秘密」の構造に無理やり引きこまれてしまった常識的先生方多数は、「知っていても知らない」という「知の無知」の仮面をつけて生きることを、しばらくのあいだ強いられていたことになるわけです。もう少しひらたく言ってしまうと、ふだんワシが経験している「あいだ」の位置に、エライ方や常識的先生方多数がはまりまくった、というようなかたちになるのでしょうか。現時点ではっきりしていることがひとつあるとすれば、それは、この問題にかかわった誰もが、いつもワシが口にする「エエカゲンニセイ」というウンザリ感を味わったということです。最後に私事におよんで恐縮なのですが、ここにいたるまでのあいだにとびきりの静寂を伴ったワシの激怒を「テリー」のメールが呼び覚ました、というような初夏の軽い戯れなどもございました。

10日。蜷川幸雄演出『フォースタス博士』@シアター・コクーン。マンサイ氏はいつも……。
29日。女子3人と面白話披露会 with イタリアン。国宝の豚などを食す。美味。

エエカゲンニセイ……。