サカイの忍耐

21日。研究室で雑用。ノートをとるという振る舞いは能動的でなければ意味がない、という気恥ずかしくなるような文章を書いてしまう。

これも仕事……。

* * *

20日。雨が降っていたこともあり、早々に東京をあとにする。研究室に帰って桜饅頭をほおばり、またしても労働のことでお怒りのお嬢さんの話を聞き、あとは雑用をする。その後、一生懸命にキョーイクやってる方(自称)を少し○○に思う。

noblesse oblige……。

* * *

19日。午前中に少し用事を済ませて東京にむかう。『夜の来訪者』(紀伊國屋ホール)を最前列中央で見る。

予期せぬ闖入者である警官橋詰(段田ヤスノリ)は、身振りをできうる限り静止状態へと肉薄させることで、ブルジョワ家庭のなかで磁場の中心のようなものを強力にかたちづくる。その無気味な静止へと絡めとられていくブルジョワたちのなかで、今回とりわけ新鮮だったのは秋吉千沙子(サカイマキ)の忍耐だ。ここでの忍耐とは、怒りや絶望の表出に安易に身を任せず、それらの半歩手前で自らの存在を持続させようとする意志ぐらいの意味である。この忍耐があってこそ、時折おこる彼女の感情的表出が痛ましいものとなるのは明白であり、サカイの演技としてわれわれが真に目撃しなければならないのは、彼女が口を開いているときの身振りではいささかもなく、ほかの者たちが語ることばに対して沈黙の彼女がいかほどの忍耐を提示しえているか、なのだ。ただ、忍耐を提示するサカイの姿それ自体が寡黙であると述べることなど誰しもできまい。サカイにあってもっとも雄弁なのは、ことばではなく微笑みなのだ。サカイが見せるほどよい狂気と未熟さによって、今回、彼女の微笑みが語る絶望の濃さにキラメキが添えられる。このお嬢さんは確実にねじれていくが、それとともに、涙が零れ落ちんばかりにたまった彼女の瞳の透明度も倍化し、この瞳が彼女の身にさらなる雄弁さを与える。クリスタルのような瞳がサカイの魅力のひとつだったな、と根拠もなしに思う。それにしても顔が小さい。彼女のとなりに座らされたワタナベエリに憐憫の情がわく。やはり原作は秀逸。

その後、某所で食べたカツどんが熱すぎて、舌に違和感を生じさせてしまう。

あるた前、人多すぎ……。