文学論全否定宣言

8日。昨日締め切りのレポート(N大)を採点する。某論文の要約と批判が課題。もちろん、批判など容易にできないだろうから、授業中に「ココは論拠が乏しくないかい?」とか「たとえば映画のなかに出てきたこの点を考慮すると、この人の議論は成立しなくなるのではないかい?」などとネタふりをしておく。大方の学生はそれらの発言を拾い上げて各自論じるという姿勢だが、なかには独自の視点を採用して批判するものもいて、そのような少数の知性のあり方に素直に顔がほころぶ。その少数は決まって女子なのだが。

ひとりの女の子が「文学論は嫌い。こじつけの議論ばかりで納得しない。もっと説得力のある論を展開すれば、学問として成熟するはずだ」と書いてくる。ある意味では正論。だが、客観的な姿勢をつらぬいて批判を書くという忍耐をあっさりと放棄し、主観的な姿勢を盾にして全否定宣言を叫ぶという悦楽に身を任せているのは明らかなので、課題の要求充足という点では……。聡明なのはわかるが。

別段、こういう意見はめずらしいものではない。彼女にこう書かしめるものは、おそらく幼少の頃につちかったと推測されうる、文学への「彼女の無償の愛」なのであり、それは、「彼女の文学」への無償の愛と言い換えてもよいはずのものだろう。文学研究者にとっていちばん手ごわいのは、大人になった文学少年少女が自己のアイデンティティをかけて保持しようとする、この文学なるものへのノスタルジーなのだ。もっと手ごわいのは、レポートを出さない学生だが。

教員のココロ、学生知らず……。

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7日。阿部公彦『スローモーション考−−残像に秘められた文化』(南雲堂,2008)を買ってしまう。

なんとなく……。