雪が舞う

朝、雪が舞う。

クリスマスで弛緩しきった街と身体が、この寒さにふれて緊張感と強度をとりもどす。それなのに、金曜日の今日が土曜日のように思われてしかたがない。胸躍らすような出来事が待ち構えているわけでもないのに、脳ミソだけがすでに週末を夢見ている。どうりで今日という日がおざなりになるわけだ。スタバで『フーコー……』の最終章を3分の2ほど読み、その後、研究室でWycherley, Love in a Woodと『フーコー……』を読了する。

表題に掲げられている3人の翻訳本が世に出回りはじめたばかりの1978年に出版された『フーコードゥルーズデリダ』を、はじめの人が死に、ふたりめの人が重篤な病に陥り、さいごの人が旺盛な執筆活動を展開していた1995年4月25日出版の文庫版を手にして、3人ともが夜空を飾る星座の一部に成り果てた2008年の暮れに読むワシにとって必要なのは、物語を語る別の文体にとりあえずは乗っかるふりをしてみる身軽さなのだろう。文庫版出版の約半年後の1995年11月4日にまんなかの人がアパルトマンからその身を投げたこと、それがワシの誕生日の翌日であったことなど、物語をこわばらせるには役不足の懐古にすぎない。

ハロルド・ピンターがクリスマス・イヴに鬼籍に入ったことを知る。ピンターの芝居を劇場で見たことがあったかどうか、夢見る脳ミソは教えてくれない。ピンターは煉獄に住まわされることになるのか……。おじいちゃんにもらった『ハロルド・ピンター全集』全三巻が、厳しい視線を送ってくる。

残酷なり……。