タイトルの零度

16日。晴れ。年内最後の授業のために、森につつまれた大学へ向かう。

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15日。いつか『○○論』なるものを書いてみたい、と思う。『○○論』などという素っ気無いタイトルは、あらゆる虚飾をそぎ落とされたタイトルの零度と言ってもいいようなものであるが、このようなタイトルを著者の慎ましやかな批評態度のあらわれだと勘違いしてはならない。素っ気無さの背後には、表紙のあいだに挟まれた文字たちに対する著者の絶大なる自信が控えているのであり、まさしくこのとび出さんばかりの自信をすんでのところで押しとどめんがために、著者はこのような素っ気無いタイトルを選択しているにすぎないのだ。この自信とともに見過ごされてはならないものは、『○○論』というタイトルをもつあらゆる書物が、その○○に対して無条件の愛情を差し出しているということである。この愛情は激烈で押しつけがましい野暮ったさからはあらゆる意味で無縁であり、あくまで控えめな態度をその本分としているが、ただ、それでいてどことなく氷のような硬さと冷ややかさで○○との距離を絶えず維持しようともする。『○○論』という書物の静逸さは、この愛情の距離感から放たれている。読者はこの2つのあいだに開かれた距離に身を投じるという無粋な身振りに興じるのであり、『○○論』の著者に冷笑を浴びせかけられながらも、彼の愛情を傍観し、彼に嫉妬するしかないのだ。幸か不幸かワシの愛情はまだどこにも向けられていない。『貨幣とは……』を200ページぐらいまで読む。

『どぐら・まぐら』論かな……。

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14日。本日は河豚を堪能した日として記憶されるだろう。もちろん、頂き物。四方田犬彦白土三平論』(作品社,2004)と村上“ポンタ”秀一『Welcome to My Life』(1998)を購入する。『貨幣とは何だろうか』を100ページほど読む。距離化と媒介、死の表象、墓、貨幣小説、他者の到来の物語としてのゲーテ『親和力』などなど。他者の到来による崩壊というテーマでP・P・パゾリーニ『テオレマ』を思い出す。

偉大なり河豚……。