スタイルとしての疲れ

疲れにも種々あろうが、それを疲れと認識できているあいだは、たとえば「手足のだるさ」だとか、文字どおり「眼の疲れ」といったようないかにも凡庸で即物的な表現を使うことにとりたてて抵抗感を覚えることはないはずであり、疲れが仮住まいをしている身体部位に刺激を与えて疲れとの賃貸契約を一方的に破棄してやれば、疲れは早々に引越し準備をはじめるだろうという認識がその背後に存在していることは容易に見通せるし、また、このような健全すぎる認識がとりもなおさず凡庸で即物的な表現を使うという恥辱を甘受する鈍感さに磨きをかけるわけだが、その一方で、そのような撃退可能な段階をとおりこして、疲れがある種のアウラのようなキラメキとなり、特定の身体部位にとりつくかわりに、その人物のスタイルと言ってもよいようなものにまで止揚/昇華されてしまった場合、キラメキはスタイルそのものに棲ぐう手に触れることなどできない核を光の根源とするため、現象としてのキラメキをとらえられないばかりか、そのキラメキの根源を追い出すことすらできなくなり、ここに至って、アウラとしての疲れをスタイルとするものは、潔くその身を疲れにくれてやること、つまり、疲れと同居して疲れを生きることのみがその生の証になると言ってもいいのだが、その反面、疲れを生きる生は死をも凌駕してしまうような無気味なキラメキに包まれることになり、このキラメキが凡庸で即物的な表現への苛立ちを掻き立てつつ、おのれの存在それ自体を賭けるような奇跡とも思えることばの準備にとりかかることになるのだ。ワシはまだキラメキの1歩手前にいる。

マルクス入門』から−−
「肝心なことは、目に見えず隠れている種々の差異を感じ取り、それを言語表現にもたらすことである。マルクスは生涯を通じてそれを実践したひとである。」(208ページ)

「それは認識論的な『問いの構造』(問いと答えの見えざる構造)である。この操作は、答え(与えられた命題)から遡って、それがひそかに答えているところの問いを再構成することである。原則的には二つの再構成がある。ひとつは、答えに対応する正しい問いを再構成することであり、もうひとつは答えに対応する間違った問いを再構成することである。過去の業績に対する認識論的批判が焦点を当てるのは、いうまでもなく後者、すなわち間違った問いの再構成とその修正である。」(211−12ページ)

先行者たちが解答をみたところに、マルクスはただ問題だけを見た。(エンゲルス)」(213ページ)

真似して表層と戯れてみました……。