風邪とパリ

10日。寒い。風邪継続中。Joel Finemanの英語に四苦八苦し、結局、重要箇所を全訳してみる。こういう作業は嫌いではない。海の向こうよりJeffrey Mehlman, Revolution and Repetition: Marx/Hugo/Balzac (U of California P, 1977)とD.A.Miller, Place for Us: Essays on the Broadway Musical (Harvard UP, 1998)が届く。前者は図書館からの払い下げ本のようで、印鑑が押してあり、かなり書き込みがある。こういう書き込みが残存しているのも嫌いではない。

本はあらゆる意味で記憶の集積を物質化する……。

* * *

8、9日。とても寒い。ゆえに風邪をひく。ゆえに熱いコーヒーを飲もうと思う。ゆえに本を買う。ゆえに本を読む。ゆえに睡魔に屈する……。

買ったのは、蓮實重彦『「私小説」を読む』(中公叢書,1979)とピーター・ゲイ『シュニッツラーの世紀−−中産階級文化の成立1815−1914』(岩波書店,2004)。ともに古書。

〈より多数のほうへ行く〉ことがなければ、来年は散歩をしにパリに行こう。そして〈時間〉を棲家にしてみよう。なんでこんな気分になったかはベンヤミンに聞いとくれ。

ベンヤミンを書く2〉
「犯罪者を殺害することは、倫理的でありうる。だが、それを正当化することは、決して倫理的ではありえない。」(122ページ)

ラテン語を話した人びとは、死ぬことを、〈より多数のほうへ行く〉と言った。」(131ページ)

「諸国民に切に勧めたいのは、自国を、隣国の地図で眺めてみること、……である。」(201ページ)

「だから、雪に埋もれたモスクワを知らぬ者は、この都市を知っているとはいえない。というのも、どの地域を旅するにしろ、そこの気候が極端な状態になる季節に訪れるべきだから。」(220ページ)

「すべての都市のうちで、パリほど親密に書物と結びついた都市はない。ジロドゥーの言うことが正しく、川の流れに沿ってぶらぶら歩いてゆくのが、人間の最高の自由感だとすれば、ここパリでは、最も完璧な散歩、したがって最も幸福な自由ですら、書物のほうへ、書物のなかへと通じてゆく。というのも、樹木のないセーヌ河岸には、何百年もまえから、学識の葉[本のページ]をつけた木蔦が広がっているのだから。すなわちパリは、セーヌ河に貫流された、ひとつの大きな図書館閲覧室なのだ。」(232ページ)

「パリは、鏡の都市にほかならない。」(237ページ)

「セーヌは、パリの大きな、つねに目覚めている鏡である。」(239ページ)

「都市周辺地域とは、都市の例外状態であり、この地域では、都市と田園との勝負を決定する大会戦が、たえまなく荒れ狂っている。」(249ページ)

「〈住居なき者さえ棲まうことのできる時間〉が、背後にどんな住まいも残してこなかった旅人には、館となる。」(255ページ)

「死に際して何も遺すものがないほど貧しい人間などいない(パスカル)」(259ページ)

貧しい人間になりそうで悪かったね……。