先達に感謝

ある18世紀イングランド小説研究者が8日鬼籍に入ったのを新聞紙上で知る。衝撃を受ける。これまでに教えをうけたことも、ことばを交わしたこともないばかりか、そのお声を耳にしたことすらない。ただ一度、数年前にちょっと大きな会でワシが発表したとき、客席でおじいちゃんの隣に座っておられた姿を眼にしたことがあるだけだった。その時ですら、「あの方が○○先生ですよ」とあとで教えていただき、「そうであったか……」と思ったくらいだった。もちろんそれまでに著作は拝読させていただいたが……。

ワシがN大学図書館をメインに利用するようになり、そこにある17〜18世紀演劇の作品集や研究書を手にとってみるたびに、それらの本の購入者として明記されていたのが、くだんの先達の名前だった。本をとってお名前を拝見するたびに、手招きされていたような、こちらの読書を見透かされていたような気がしたが、それは決して不快な経験ではなく、なんとなく手紙のやりとりをしているような楽しい経験だった。

くだんの先達のように自分の研究がニンゲンの知に貢献するようなことなどワシには無縁だが、購入しなければ消えていってしまうような書籍たちをニンゲンの知の一部としてとどめておくくらいのことはワシにでもできるかもしれない……ワシが死んだら、ワシの本はほしい人にあげます。

くだんの先達には感謝のことばをそっと述べさせていただきます。ありがとうございます。これからも本をつかわせていただきます。

夜、ある社会人(むかしチョロッと英語を教えたことがある学生)と待ち合わせ、手羽先の店で彼の愚痴を聞く。ニンゲンの知に貢献などできませんが、ニンゲンの愚痴ぐらいは聞いてあげられるようです。まあ、もう少し頑張ってみなさい。ちなみに、待ち合わせ場所の近くに、「ギザ……」という特殊な語法を使用される方がいらっしゃる予定だったようで、個性的な方たちを多く見かけました。

今日はDobsonの第3章を読む。もういいかな、この本……。

よし、ワシもがんばるぜよ……。