アウグストゥス登場

20日。アヴィタル・ロネルのセクシャル・ハラスメント問題が喧しいことを知る。

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12日。ショッピングモールに買い物に行った際、ドウキョニンに老眼鏡をつくるように促される。ええ、そうですね。

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8月1日。誰もが知っているとおり、Julyはユリウス・カエサルの名に由来しているのに対し、Augustはアウグストゥスのそれに由来しているわけだが、夏休みが来ないのにアウグストゥスだけが来てしまったぞよ。残酷だな。

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7月28日。ナイロン100℃『睾丸』@東京芸術劇場。残念ながら、台風接近のため行かず。2年に1度ぐらいはこういうことがある。いたし方ない。

眠い、眠い……。

ひと仕事 in Osaka

13ー14日。大阪でひと仕事する。諸事情あって昼食ぬき。諸事情あってケーキもコーヒーもぬき。

このところ午前3時就寝生活が板についてきた。その後もイヤフォン君はイヤフォン君なり。ところで、イヤフォンというのものに価値をおく若者が増えたことを実感する。学生と話をしていて、「高級なイヤフォンがほしい」と口にするものが少なからずいるのだが、それがなにかおのれのアイデンティティに深く関係しているかのような口ぶりで語る姿を見るにつけ、やはりオジサンは違和感を覚える。車や時計や服などと同列になるくらいイヤフォンはいつの間にか昇進してしまったのか? 昭和のニンゲンにはよくわからない。

物理学の先生と、論理学の話をする。一年生には論理学を必修で受けさせるべきだということで見解の一致をみる。と同時に、「だれが教えられるの?」ということで見解の一致をみる。

ジリアン・ビア『未知へのフィールドワーク−−ダーウィン以後の文化と科学』を読みはじめる。

暑いですな……。

イヤフォンという最後の砦

今日も午前2時半。

新入生を対象とするあるクラスで、片方の耳にイヤフォンをつけたままワシの授業をうけている学生がひとりいる。はじめは両耳にイヤフォンを装着して寝ていたので注意をしたのだが、そうしたら、その翌週から寝ることなく授業はうけているものの、片耳にだけイヤフォンをつけるスタイルに変更してきた。ワシはそのスタイルを見たとき、なにか無性に虚脱感をおぼえ、以前したように注意することが馬鹿げた行為であるかのように思われてしまった。どう述べたらよいのかわからないのだが、そのようなスタイルをとる者にはなにを言っても無駄なのではないか、と思ってしまったのだ。それと同時に、そのスタイルからはなにか名状しがたい無気味さも感じられた。仮にその学生にふたたび注意のことばをあびせ、片耳からイヤフォンを抜かせたとしたら、その瞬間にその学生のなかにあるなにかが壊れてしまい、彼をとりまく世界も崩壊してしまうのではないか、と思われたのだ。その片耳に装着されたイヤフォンは、怠惰や反抗心などといった否定的なものの発現としてあるのではなく、彼をこの世界につなぎとめておくためのささやかな接点として、あるいは、彼の体内にある過剰さが体外に横溢して世界を無に変貌させてしまうことを防ぐ最後の砦として、つまり、彼にとっては肯定的な機能を担うものとしてあるかのように感じられたのだ。〈現実界〉をおしとどめるための〈象徴界〉の最後の戦い……。ワシが感じた無気味さは、その学生の過剰さ/〈現実界〉のかけらだったのかもしれない。その学生は授業が終わって教室から出て行くときに、かならずワシに「ありがとうございました」と述べていく。その「ありがとう」を耳にするたびに、ワシは「(今日もニンゲンとして生きるうえでの最後の砦をまもる僕の孤独な戦いを静かに見守ってくれて)ありがとう」と言っているかのように聞こえてしまう。まあ、ワシの思いすごしでしょうが……。

addio……。

おやすみなさい

5月26日。マーティン・マクドナー『ハングマン』@世田谷パブリックシアターマクドナーを見るのは、おそらくこれがはじめてだと思う。ちなみに、不勉強ゆえ、戯曲は読んだことがない。これが初舞台という娘役の女の子も、無気味な男役の大東も演技が秀逸だと思った。宮崎吐夢は演じる役ごとに印象が変わる役者だと思った。ただひとつ不満なことがあったが、それはこの芝居そのものにとっては付随的な事柄なので、口をつぐむことにする。それはそうと、劇場近くのブックオフ小池滋『ゴシック小説をよむ』(岩波書店)があったので、思わず買ってしまった。まあ、仕方がないわね。

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5月25日。オジイチャンと久しぶりに昼食をともにし、とても切ない話をうかがう。ご本人は「明日東京に久しぶりに行って、○○さんに会うんだ」と楽しそうに語るのだが、切ない話が脳裏から離れず、孫にでもなったような気になって、「僕でお役にたてることがあったら、なんでも言ってください」と不意にコトバが口から出てくる。よくよく考えたら、オジイチャンと出会ってもう四半世紀になるのか……。まあ、ワシも年取るわね。

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だいたい午前3時就寝生活が継続しているので、そのうち精神が崩壊して荒野に向けて突然走り出したりするのではないかと危惧している。パゾリーニの映画『テオレマ』のラストシーンでは、たしかブルジョワのお父さんがいきなり駅で服を脱いで全裸になり、おのれの周囲に茫漠とした荒野の風景を幻視することになったのではなかったか……。ワシは駅で全裸になるほど荒野を欲してはおらぬ、と信じたい。まあ、疲れているのはたしかだわね。


あなたはちゃんと寝てください。

good night……。

病んでるの?

午前3時が定番化しつつありますな。

最近は本を読んで考える時間が本当に1日に1時間ぐらいしかない。早朝6時から深夜3時まで眼をあけて生きているのに、1時間とは……。まあ、仕方がないな。1時間で6時間ぐらいの効果をあげた気分になっておく。病は気からだ。え、ワシ、病んでるの?

その1時間をつかって結構まじめに読んでいるのは、某カタログなり。

元気があればなんでもできる……。

午前3時半の憂鬱

午前3時半。今日は眠ることができるのだろうか。2時間ぐらいは寝られるか。

寝耳に水の案件が突然ふってきて、怒られる。「突然そんなこと言われても聞いてないから知りません」などとは言えず、とりあえずお詫びとともに早急に対応する。ワシはなにしとるのじゃ。色々と板ばさみにあうなぁ……そして、結局ワシが怒られるのだよなぁ……。

おやすみなさい……。

書いてはいけない

本日はまだ午前1時。昨日は午前2時に寝られた(というか、知らず知らずのうちに寝てしまった)ので、4時間ぐらいは睡眠時間がとれた。どうしてこんなにやらなければならないことが多いのでしょうかね。自問自答してみるものの、それに対する答えは問うまでもなく明白なり。だが、ここにそれを書いてはいけない。あることが終了してもまだこのイラダチが残存していて、しかも、ワシが憤死していなかったならば、それについて筆を走らせてみるような日が訪れるかもしれない。

死んでしまったあの人は、いまなにを考えているのでしょうかね。いなくなってしまったあの人たちも、いまなにを考えているのでしょうかね。ワシはいまアイスクリーム食おうかどうか迷ってます。

お元気で……。