現実の砂漠

会議。90年代前半までの大学のイメージを堅持したまま、大学という世界に参入してくる輩たちは、現在おのれの眼のまえに存在する光景に対して、「信じられない」というコトバをかろうじて発するか、あるいは、せいぜい「アナタたちはナニをしてきたの」的な非難とも冷笑とも受けとれるような視線を投げかけるかするのみで、現実を直視して「それではどうしたら良いのか」というところまで思考の持続に耐えたり、連帯と友愛の手を差し伸べたりすることまではしようとしない。〈内〉にありながら〈外〉の志向性を保持しているこのような輩たちが、真に〈内〉の志向性に目覚めたとき、なにが起こるかはこれまで何度となく見てきた。このような文脈では、現実主義者が理想主義者に代わることの方が、理想主義者が現実主義者に代わることよりも害悪が少ないと言っていいだろう。現実の砂漠に耐えるには、理想の水を追い求めて移動する集団になるしかないのであって、理想の水を諦めて現実の砂漠に耐えることは、死と孤独に滞留することにほかならないからだ。なにはともあれ、現実の砂漠へようこそ。

暑いわ……。