文と武

18日。授業2つ。以上。

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17日。「くじ引き」とか「懸賞」とかに血眼になってしまうドーキョニンのお供でショッピング・モールに行く。ところが、すでに「くじ引き」は終了している。ドーキョニンはご立腹のご様子。

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16日。研究室に行ったあと、ぶらぶらする。デリダの英訳レヴィナス本を500円で買う。

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15日。授業2つ。文武両道などという観念は、「文」と「武」が同時並行的に秀逸さを確立しあうのではいささかもなく、「文」の秀逸さが一定数まず確保され、その後に、しかるべき修練ととともに「武」の秀逸さがそこに上乗せされて行くことになるのであろう。「文」はなんらかのかたちで「武」に先んじていなければならない。実際に、「武」において秀逸であろうとすれば、少なからず「文」的秀逸さ−−つまり、分析的思考−−が前提条件として必要になってくるはずだ。そうでなければ、その「武」的秀逸さは、動物の「本能的動き」に等しいものとなるであろう。ところで、「武」の秀逸さが一定数確立されたあとになってしまうと、もうそこには「文」の秀逸さを上乗せする隙間は存在しないことになってしまうのかね……そう思わせてくれる1年生の初回の授業なり。端的に言うと、特定の球技に秀でてきたがためにこうして大学という場でワシのような者に対面することになってしまった者たちよ、初回の授業から寝るな、というお話。

とりつくろいなさい……。