涙、落ちるがままに。

午前中、耳鼻咽喉科に行く。このところ授業後にうがいをすると、ほんの軽くだが出血している場合があったので、夏休みになったことだし、診察してもらいにひょっこり出かけてみる。予約をとらなかったので、子ども連れのお母さんとご老人たちに混ざりながら、待合室で2時間近く待つ。おかげで、I.ウォーラーステイン『史的システムとしての資本主義』(岩波現代選書,1985)を読了してしまう。

お医者は軽くワシの喉を見た後、静かに「麻酔をします」と述べて、両方の鼻の穴たちに器具を差し入れる。さらに、それを取り出したあと、また静かに「少し苦味があります」と述べて、別の器具を同じ穴たちに差し入れる。しばらくして、これまた静かに「鼻からカメラを入れます」と述べて、カメラと思しき物体を鼻の穴経緯でワシの体内にメリメリ挿入していく。その間、ワシは「イー」と発声することを強要されたりしながら、涙をポロリポロリ落ちるがままにする。その後いつカメラが体内から引き抜かれたのかは不明だったが、つかの間、なんとも奇妙な体験をする。そのカメラがとらえてきたワシの喉は、これまたおのれの所有物とは思われないような奇妙な物体であり、静かに「ああこんなものをワシは体内に住まわせ、活動させているのだな」と流れ落ちるがままの涙を拭い去ることなく想う。診察後、なかば涙顔で待合室に帰還してしまったので、お母さんたちが好奇の視線をあびせてくる。ワシはといえば、恥ずかしさという感情とともに、奇妙な体験から日常の世界に復帰したことを実感する。

病院を出たあと、さらに西の空に視線を送り、しばし、灼熱の過去に想いを馳せる。

結局、大事にはいたらなかったようで、まだしばらく生きられそうです。

はぁ……。