20年ぶりの1、2秒

21日。蒸し暑さ極まれリ。

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20日。何とか文章をしたため終わり、郵便局に走る。

ある大学に破壊の意志を表明する電話があり、人々が避難したのを知る。それはワシが10年間学費をお納めした大学であった。

スーパーでヨーグルトと牛乳と野菜ジュースが入ったかごをぶら下げてレジの方へ向かっていたら、カートを引きながら自分の子どもたちに何ごとか注意を与えている女性と眼があう。時間にしてほんの1、2秒であったが、ワシは彼女が誰であるか、彼女はワシが誰であるか、お互いに即座に認識する。ワシの記憶が確かならば、それは20年ぶりぐらいに訪れた再会の1、2秒であった。声をかけて今の境遇をたしかめあったり、昔を懐かしむことなどもちろんしなかったし、表情の変化を許すことすらしなかった。そして、20年ぶりの1、2秒はそのまま何ごともなかったかのように過ぎ去って行った。ワシは「タヌキのような丸顔と大きな瞳はご健在ですね」とココロのなかで微笑みとともにつぶやいただけだった。こんなときヒトは思ゐ出にポロポロしてしまうのだろう。

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19日。授業4つの合間に、月曜必着の文章4000字をしたためる。

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18日。授業後、ゲリラ豪雨と雷でN大図書館に2時間足止めをくらい、ようやく小降りになったのを見計らって地下鉄に駆け込むも、たどり着いた先の電車がストップしていて改札前が人であふれかえっているので、バスでの帰還を試みるべく、急遽同僚から情報をもらって、再度地下鉄にのり、その後バスに乗る。なんとか大学まで帰りつくが、その時点で夜はとっぷりふけている。事務のお嬢さんにバームクーヘンをいただいたが、食べられず。

今福龍太『スポーツの汀』(紀伊國屋書店,1997)を読了する。「穴」を認識の中心に据えるゴルフ。

みんなひっくるめて、バームクーヘン食べられず……。