残酷とは……。

午前中、Mr Presidentに会う。残酷なコトバたちが記された一枚の紙を見せられ、それについての説明をうける。提示された一枚の紙はあらゆる饒舌や虚飾をそぎ落とされた素っ気無いものであり、この素っ気無さが、白い紙のうえに記されているコトバたちの相貌をいっそう残酷なものへと鍛えあげている。ひとつのテーブルに集ったのは5名の人物であったが、ワシ以外の人物は皆、この残酷なコトバたちの相貌を眼にし、一定の留保をつけながらも一様に安堵と満足の空気に身をさらしているようだった。ワシはといえば、なんとなく名状し難い気持ちにとらわれていたのだが、その気持ちに相貌をあたえるコトバをつむぎだすことも、また、その気持ちで安堵と満足の空気を震えさせることもせずに、ただそこで塊になっていただけだった。残酷とはかくも安堵と満足に寄り添って存在するものなのか。塊になったワシは、この論理を拒絶したかったのかもしれない。

その後Thomas Shadwell, The Virtuosoを第三幕の終わりまで読む。同じ著者のThe Squire of Alsatiaは途中で放り出してやった。

わからない……。