ランの想い出

娘犬には後ろめたさを感じています。母犬の散歩を担当していたので、娘犬の方は別の担当者に任せきりでした。おっとりとした娘犬は、そんなことなど気にしていないかのように、いつもワシに愛想を振りまいてくれました。本当に優しいやつだった、と今でも思っています。そして、その優しさがワシの罪悪感を今でもかきたてます。残念ですが、もうこの娘犬も家にはおりません。

ある日帰宅してみると、家の者たちが娘犬のところに集合しておりました。当の娘犬は横になって、歯を食いしばり、多少の痙攣を身に帯びておりました。かけつけた獣医の話によると、頭のなかに異物があり、それが原因となってこのような症状が発生した、ということでした。そして、今度痙攣に襲われた時が娘犬にとっての最後の勝負の時になるであろう、ということでした。

もうずいぶんまえから、耳の後ろを撫でろ、と娘犬は頻繁にワシに要求してきました。そこを撫でてやると娘犬は至福の表情を浮かべるのですが、それは、その時点ですでに抱えこんでいた爆弾に対して何らかの抑止行為になっていたのかもしれません。もちろん、そんなことを知る由もないワシは、黙って耳の後ろを撫でてやるばかりでした。

獣医が去って真夜中の3時を過ぎた頃、そっと娘犬のもとを訪れてみました。そこには、冷たくなった娘犬が瞳をあけて横たわっていました。軽く舌を噛んでいました。それを見て、娘犬が最後の勝負の時をひとりで壮絶に迎えたことがわかりました。ワシは娘犬にことばをかけて、頭を撫でてやりました。たしか「ごめんよ」だったと思います。ワシが彼女にしてあげたことで唯一よかったのは、新たな一日がはじまるまえに勝負のあとの彼女を見つけてあげられたことです。勝負のあとの彼女を受けとめられるのは、夜の静寂しかないように思うからです。

娘犬が静寂にまぎれて旅立っていったのは、数年前の今日です。それは昨日と今日の見分けがつかないくらいいかにも優しすぎる一日でした。

ワンワン……。