職を辞す

オレゴン最終日(24日)も快晴。サンフランシスコへの移動日なので、今日ばかりはこの快晴をお天道さまに感謝したいくらい。早朝7時半に集合する。いつものように太陽に照らされる緑は美しい。この緑も見納めかと思うと、よけいにまぶしく感じる。

悪魔の微笑みをもつ女性と初登場の男性の手を煩わせ、dormのチェック・アウトから、シーツなどの返却、スーツケースの車への積み込み、空港までの輸送、搭乗手続きまでを行う。前日体重計ではかったにもかかわらず、羊たちのなかには重量オーバーを宣告され、そそくさと荷物を入れ替えるものもある。その後、ボディ・チェックへと進む。悪魔の微笑みをもつ女性と初登場の男性とは、ここでお別れになる。羊飼いがいちばん最後だったので、お2人と握手をしてお別れをする。なんとも淡白なお別れであったが、これはこれでよかったのかもしれない。

その後、出発予定時刻を1時間過ぎて機上のひととなる。つまり、往路と同じように復路でも1時間の待ちぼうけをくらう。アメリカのローカル線の扱いはこういうものなのね、となんとなく納得する。飛行機のなかでは当然のことながら眠るが、ちゃっかりドリンク・サービスのときには眼がさめてcoffeeと言う。

サンフランシスコ国際空港につくと、麗しいガイドのお姉さんが出迎えてくれる。さっそく、バスに乗り込み、昼食に向かう。途中、一定間隔で白い石が配置されている敷地がどこまでも広がっているように見える。ガイドのお姉さんによると、戦没者の墓地であるそうだ。昼食はショッピング・モールのなかにあるバイキング形式のお店でとる。羊飼いはやはり、サラダ1皿、小さなパン2つ、メロン3キレ、スプライト1杯を確保する。炭酸系しかなかったのでスプライトを選択したが、これを飲んだら食欲がいっそう減退してしまう。それでも、食べることにする。出されたものはみんな食べなさい、という教育を幼少のころにうけたのはどれくらいの年代までなのだろう、とふと思う……わが家だけでしょうか。それにしても、こちらの人は年寄りにいたるまで皿を山盛りにして食事をする。視界にはいってきた老夫婦の皿もやはり山盛り、しかも1人につき2皿……。

その後バスに乗り込み、ツイン・ピークス、ゴールデン・ゲート・ブリッジ、ジャイアンツのホーム・スタジアム(名前忘れた)などをまわる。ツイン・ピークスから下ってくるときに、鷹がとても気持ちよさそうに飛んでいる姿が眼に入る。ニンゲンたちが群集になって山頂から見下ろす風景よりも、誰に注目されることもなく悠然と飛翔する鷹の孤高の姿に惹かれる。ゴールデン・ゲート・ブリッジもスタジアムも、なるほど、と思う程度……。ところで、羊たちは久々に日本語が通じる麗しい女性に接したためか、ガイドさんにがっつきまくる。見ていてこちらが気恥ずかしくなるんですけど……。バスでの遊覧が終わると、ホテルにチェック・インする。羊飼いにあてがわれたのは、王様のベッドがあり、バス・タブがあり、トイレがあり、テレビがあり、バスタオルがあり……といった部屋。なんとなく場違いな感じがし、dormの気取らないベッドの方が自分には向いている、と思ってしまう。

1時間後に再度集合し、予約してある中華料理店まで皆で行列になって歩く。途中回り道をするもなんとかたどりつく。回り道をしたおかげで、かなり長いあいだ中国人街を見てまわることができる。濡れたアスファルトから立ち上るにおいが独特で、ここで暮らす人たちの生命力の確かさを雰囲気から感じとることができる。食事をする中華料理店は、そのようなむき出しの生命力が幾分そぎ落とされてしまっていると感じられる上品な店で、そのためか、われわれを含めてお客は圧倒的に外国人(中国人から見て)が多い。まず登場してきたのは餃子1つ、美味。そのつぎにスープ、美味。海老、カニ、炒飯、ホタテいりの野菜炒め、とつづく。もちろん、どれも美味。残念ながら、羊飼いの胃袋は海老あたりで限界になり、海老以後の3つはほんの味見をした程度。このほかにも肉の炒め物と酢豚が出てきたが、これには味見の食指すら伸びませんでした。ただ、デザートの杏仁豆腐はちゃっかり食す。これも、美味。最後にフォーチュン・クッキーがでてきたので、ひいてみる。“An angry man opens his mouth and shuts up his eyes”だそうです。今年は怒れる年ということですね。ちなみに6キロ太った羊は、別のテーブルで自分の実力をいかんなく発揮しておられました。全身で炒飯をほおばる姿は神がかり的でありました。もうひとつちなみに、食事のとき相方から「羊飼いやつれましたね」と言われました。今日の朝の時点で、約5キロ減です。

帰りは、またホテルまで歩き、ホテルの外で簡単なミーティングをして本日はおしまい。サンフランシスコの街を歩くと、バスに乗っていたときには気がつかなかったことが眼にとびこんでくる。露天でいかがわしいものを売る人たち、通行人に紙コップをそっと差し出す人たち、笑いながら何か話しかけてくる裸足の人、ずっと階段に座りつづける人、散歩後にマルチーズBMWに乗っけて立ち去ろうとする男性、夜の街でスケートボードにのる若者たち……この多様さこそが現実なのだろうが、オレゴンから来たものにとっては、この多様さの方が虚構に思われてしまう。しばし戸惑う。

体調はほぼ完全な状態になる。

ホテルのLAN接続にひと手間必要なことが判明し、ここでのネット生活を断念する。

誰かの願いが叶うとき、誰かの願いが沈黙させられる……。

*     *     *

今日(25日)も快晴。少し肌をさすような寒さが逆に心地よい。

サンフランシスコ2日目。朝8時半に集合し、Alcatraz島に渡る波止場へバスで向かう。バスに10分ほど揺られると、目的地に到着する。すでにかなりの人が船に乗るために列をつくっている。ほどなくして、船に乗り込む。病み上がりの羊飼いはデッキに出ずに、一階の室内席に陣取る。羊ひとりが前に、麗しいガイドのお姉さんが隣に、同席してくれる。出発直前、前方の水面に浮かぶアザラシの姿がかすかに眼に入る。かなり嬉しく思う。

船が出港する。ガイドさんの左手に包帯が巻かれていたので、羊が事情を尋ねる。にんじんと共に指をほぼ切り落とし、救急車に運ばれて医者まで行ったそうです。しかも、運ばれていった先のナースに切れた指をみせたら、「もうつながらないからそこに捨てなさい」と言われたそうです。「そんな〜」と言って医者に指をつなげる治療をしてもらったそうです。そしてガイドさん、「やくざの指つめじゃないんですからねぇ〜」と言って、けらけら笑っておられる。アメリカのナースの豪胆さよりも、麗しいガイドのお姉さんの豪胆さに驚かされる。ワーキングホリデイをきっかけに、海外での就職が決まり、最初はラスベガス、2001年からサンフランシスコで仕事をしている、と昨日お話ししたときにおっしゃっていた。オレゴンのボスとは違うタイプだが、この方も女性の強さを強烈に感じさせる魅力的な人物である。

Alcatrazは映画のモチーフにもなった刑務所で、アル・カポネが収監されていたところとして有名である。島に到着すると、日本語のイヤホン・ガイドを借り、そこから流れるガイドにしたがって刑務所内をまわる。ガイドはかつてここに収監されていた囚人たち、あるいは、監視していた看守たちに語らせる形式をとることによって、刑務所ツアーをドラマのように仕立てあげている。聞いていると、某国の国営テレビが年末などによくやる歴史ドキュメンタリー番組的なテイストがしてくる。こうなると、刑務所は典型的なテーマパーク以外のなにものでもない。監獄、独房、図書館、脱獄したものが掘った穴、所長室、食堂などをまわり、最後にお土産屋を通って外にでる。饒舌なガイドが、監獄という物質のもつ歴史的真実性をそぎ落としてしまっているようで、不快を感じる。とりわけ醜悪だったのは、お土産屋で売られている囚人たちの顔がプリントされたマグカップであった。こういう場所こそ、沈黙に語らせるべきだ。羊飼いにとっていちばんリアルだったのは、壁に掛けられたある囚人のつぎのことばであった――“these men read more serious literature than does the ordinary person in the community. Philosophers such as Kant, Scheponhauer, Hegal, etc., are especially popular …”。スペリングの間違いに真実が露呈する。

その後、また船に乗って出発した波止場にもどる。帰りは麗しいガイドのお姉さんと2人で座る。刑務所内でときどき少しお疲れのご様子を目撃したので、とくにこちらか話しかけるのは控える。2人して、しばし沈黙にひたる。話しかけられて一言「たいへんなお仕事ですね」と言うと「でも楽しいですよ」とおっしゃってニコッと笑われる。

波止場についてバスに乗り込む。少し先までバスを走らせてもらいFisherman’s Wharfに行く。途中、銀色の服、靴、サングラスを身につけ、皮膚も銀色に塗りたくった、文字通り頭の先から足の先まで銀色の変なオッサンを目撃する。Fisherman’s Wharfはサンフランシスコのお土産が買える観光地で、希望者はここで下車していく。羊飼いと羊3人はそのままバスに残り、ホテルまで送り届けてもらう。サンフランシスコに到着してから、ガイドさんの案内のもと集団で観光地をまわる時間がつづいている。もともと観光地には必ず行くというメンタリティがなく、また、団体で海外旅行をしたこともない羊飼いは、このようなふつうの観光旅行にひどく疲労を感じ、Fisherman’s Wharfは失敬してしまう(帰国前に体調を万全にする必要もあったし……)。オレゴンでは羊飼いがなかばガイド的な役割だったので、違和感をおぼえなかったが、ガイドされる側になってみて、このような形態の旅が自分にとって異質であるということに気づく。ただ、オレゴンにいても始終気づかされたのは、集団行動の奇妙さで、みんなで行列になって歩くのはかなり恥ずかしいのですよ。まあ、個人行動で万事成立するような集団だったら、行列しなくてもよいのですが……。

ホテル前でバスから降ろしてもらい、ガイドさんに簡単な昼食がとれるところを紹介してもらう。そして、ガイドさんとも別れる。昼食はデパートの地下で日本料理を羊たちと食す。日本料理と言っても、ご飯のうえに、スパイシーなチキンと刻み野菜がのったどんぶり(Spicy chicken breast bowlだったかな……9.75ドル也)。ご飯は日本米のようで、なかなかおいしくいただく。ただ分量は少し大目。

その後、ホテルに戻り、爆睡したあと映画を数本見る。なんとも贅沢な時間(体調も万全になる)。8時にホテルのロビーまえに全員が再集合し、簡単なミーティングをひらく。それも明日の集合時間の確認をしてすぐに終わる。予想通り、羊たちはブランド・ショップをまわっていろいろ物色した様子。ミーティング後もまだショップを見てまわるという羊もいる。お好きですね。昨日まで3週間いたオレゴンでの「学」を、いまの羊たちは「留」めているのでしょうか……。もう諦めの境地か、体調のせいか、毛を刈りたくなるような怒りはわき起こらなくなる。“An angry man opens his mouth …”。

ミーティングのあとは自分の部屋にもどる。夕食をとるのを忘れていたことに気づくが、ホテルを出るのが面倒だし、空腹でもないので、ホテル内の自動販売機でコカ・コーラを1ドルで購入し、これを夕食とする。後から考えると、これがアメリカでの最後の晩餐であった……せめてペプシにすべきでした。

冷たい海風に身をさらすジョナサンたちだけが、刑務所の真実を語り継ぐことができる……。

*     *     *

今日(26日)も陽射しがまぶしい。朝8時前に集合し、チェック・アウトしたあと、麗しいガイドのお姉さんの手引きでスーツケースとともにバスに乗り込む。

羊飼いは遅刻を恐れて前日徹夜をする。一晩中、繰り返し同じニュース番組、同じ芸能番組、同じ天気予報番組(これが一番おもしろい)を見たり、ゆったり入浴したりして時を過ごす。それでも早朝になるとやることがなくなるので、朝食をとりに食堂に行ってみる。ある羊と同席して朝食(油ぎったベーコン、トースト、エッグとコーヒー)をとっていると、となりのテーブルに座っていた日本人のオッサンが話しかけてくる。鳥取からきた社長さんだそうで、どうやら自分のお話になっていることが、自分の自慢話になっていることにお気づきでないご様子で、調子を合わせつつも、延々とつづく話に少し閉口する。そして、オッサン、羊飼いのことを100%学生だと思って話しとるからね。タイミングを見計らって、ひとり失敬させてもらう。つまり、残った羊をオッサンへの生贄に差し出してしまう……許せ。

その後、皆で一路サンフランシスコ国際空港に向かう。空港に到着すると、搭乗手続きを行い、ボディ・チェックに向かう。そして、ここで麗しいガイドのお姉さんともお別れとなる。今度は握手もせずに「お世話になりました。ありがとうございました」と述べて別れる。空港での別れはいつも淡白になるが、ここでも、なんとなくこの別れ方でよかったな、と感じる。あなたの笑顔も忘れませんよ。自分も頑張らなければ、と思わせてくれるような方であった。

ボディ・チェックを済ませると、残っている紙幣を消費するべく、カードとあわせてブランド品を購入する。ブランド品をこの前購入したのは、たぶん5年前のヒースロー空港で、このときはある人への贈り物だったはず。今回はボロボロになった自分の財布の代わりをしてくれる奴を購入する。それにしても、空港の免税店でしかブランド品を買わないから……。羊たちもお買い物。ここでの彼らのターゲットは、チョコレート、タバコ、ここには書けないもの、などなど。両手にチョコレートの箱を抱え、チョコレート屋と化した羊もあり。

定刻どおりに搭乗し、約11時間の旅がはじまる(向かい風のため往路よりも時間がかかる)。前日の徹夜の成果を見せるべく速攻で睡眠体勢に入るが、11時間中睡眠に費やされたのは1時間ぐらいが良いところでしょうか……完全に墓穴を掘る。残りの時間は、『カンフー・パンダ』を途中から見る(2回)、オレゴン大学でダウンロードしたThe Country Wife論1本を読む、夢野久作ドグラ・マグラ』を読む、食べて飲む、隣の羊と話す、などなどしてやり過ごす。不思議と来てほしいときに睡魔さんは来てくれない。

往路では、ビーフではなくチキンしか食べられなかったので、復路では、迷うことなくビーフを選択する。結論から言うと失敗する。隣の羊が選択したチキンは、パスタがメインの仕上がりになっていて、羊飼いの手にしているビーフよりも、うまそう。しかも、往路のチキンと違うではないか……。着陸1時間半前にだされた食事では、ラザニアではなく、ホットサンドを選択する。結論から言うとこれも失敗する。隣の羊が選択したラザニアは、単純にうまそう。ホットサンドもうまかったんですけどね。それにしても、隣の羊め、ふだんは寝ぼけたような顔してるのに、変なところで異常な嗅覚を発揮しおって! 

そんなこんなで機上の時間をやり過ごすと、Nゴヤに飛行機が降り立つ。26日の午前だったはずが、いつの間にか27日の午後になっている。あああ蒸し暑い。出迎えをしてくれる方たちと合流し、羊飼いが簡単な挨拶をし、皆で記念撮影をする。最後に羊たちから、羊飼いと相方に色紙がプレゼントされる。純粋に嬉しく拝受するが、こういうのに慣れないので気恥ずかしく思ってしまう……ありがとう。君たちでよかったです。

その後、皆と別れてひとりになり、各方面にケータイ・メールをしたあと、電車にのり自宅に帰る。帰ってからは荷物整理などなど……長い旅が終わってしまったことを実感する。本日をもって羊飼いの職を辞すことになる。

いま思い出されるのは、あなたたちの笑顔だけですよ……。