ウィリアムの教え
『薔薇の名前』を読了する。
〈ウィリアムの教え集〉
「師匠の悪いところは身につけないほうがよいぞ。人間が考えなければいけないのは、唯一つだけだ。この年になってやっとわかった、それは死だ。〈死ハ旅人ノ安ラギダーーアラユル労苦ノ終リダ〉。どうか、わたしに祈らせてくれ」(上109)
「だが、偉大だからこそ、変ってもいるのだ。正常に見える人間は卑小な輩にすぎない。」(上110)
「学問とは、単に為さねばならぬことや、為しうることだけを知ろうとするのでなく、為しうるであろうことも、為してはならないことも、時には知ることなのだ。」(上160)
「よくあることだよ。書物はしばしば別の書物のことを語る。一巻の無害な書物がしばしば一個の種子に似て、危険な書物の花を咲かせてみたり、あるいは逆に、苦い根に甘い実を熟れさせたりする。」(下52)
「書物というのは、信じるためにではなく、検討されるべき対象として、つねに書かれるのだ。一巻の書物を前にして、それが何を言っているのかではなく、何を言わんとしているのかを、わたしたちは問題にしなければならない。」(下100)
「世の中には権力を握る者たちの言葉と、見捨てられていく一方の者たちの言葉とがあるのだ。平信徒たちが話している俗語は後者の類の言葉で、われらが主は普遍的な言葉として叡知と権力とを表すすべを彼らに許さなかった。」(下123)
「ベーコンはいみじくも言ったぞ。学問の始まりは言語の習得にあると!」(下172)
「だが、何であれ、純粋というものはいつでもわたしに恐怖を覚えさせる」
「純粋さのなかでも何が、とりわけ、あなたに恐怖を抱かせるのですか?」私は尋ねた。
「性急な点だ」ウィリアムが答えた(下208)
「書物にとっての喜びは、読まれることにある。書物は他の記号について語る多数の記号から成り立つのだが、語られた記号のほうもまたそれぞれに事物について語るのだ。読んでくれる目がなければ、書物の抱えている記号は概念を生み出せずに、ただ沈黙してしまう。」(下226)
Er muoz gelichesame die leiter abewerfen, so er an ir ufgestigen
サミュエル・ベケット『新訳ベケット戯曲全集1ーーゴドーを待ちながら/エンドゲーム』(白水社)、アガサ・クリスティー『招かれざる客』、アガサ・クリスティー『杉の柩』(早川書房)を読了。
ロジャー・ベーコンを尊敬しているとな……。