初冬の地獄

29日。他人の授業模様について報告する文書を書かされている。地獄だな。

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25日。週末のホテルをキャンセルし、新幹線の予約を移動させる。なぜなら、出演者がインフルエンザを患って、芝居の公演が中止になったから。もうこの芝居を観る機会はないだろうが、ニンゲンがやることなので、こういう事態が起こってしまうのはいたしかたない。不運という名の地獄だな。

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24日。いろいろとお世話になったお医者さんのところにお菓子をもって挨拶に行く。そのお医者先生は、あるジャズ・ミュージシャンにそっくりな風貌をしている。また近いうちにお会いできるとよいですね。地獄生活のなかの仏だな。

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17日。アラン・エイクボーン『扉の向こう側』@東京劇術劇場。大きい方の劇場の入り口近辺で妙齢の女性集団が長蛇の列をなしている光景が視界に入ってくるものの、「エイクボーンだから地下の小さい劇場だろう」と思って、エスカレーターを下っていく。違った。そそくさと長蛇の列にくわわる。「エイクボーンが妙齢の女性に人気だとは知らなかった」と思いながら、劇場内の座席におさまる。違った。エイクボーンに吸引力があるのではなく、キャストの役者陣にそれがあることが、背後の席をうめる妙齢の女性たちの会話から知れる。女史たち曰く
「今回はどれくらい?」
「三回。」
「地方は?」
「千秋楽だけ。」
客席をうめている人たちの多くが、宝塚にかつて所属した経験がある女優陣のファンであるようだ。このような展開は、かつてイプセンの『幽霊』を見たときにもあった。それはともかく、エイクボーンの脚本はさすがによくできているので楽しめる。階級社会の描き方という点では、多少の物足りなさが残るようにも思うが、これは致し方ないだろう。それにしても「歌のプレゼントを」と述べてカーテンコールでキャスト全員で歌を披露するのは、彼女たちの出身母体では常識的な行為なのだろうか。不勉強なので、存じあげない。地獄は終演後に待ち受けていた。ワシが見た回には「トークショー」が特別に設けられていることを終演後のアナウンスで知ったものの、「トークショー」にまったく興味のないワシはカーテンコールが終わるとそそくさと席を立って出口に向かうことにする。ただその一方で、客席のほとんどをうめていると言ってもよい妙齢の女性たちは誰ひとりとして席を立つものなどいない。こんなときに限って、ワシの席は最前列なのだ。「最前列の席からひとりのオッサンがスペシャルなトークショーを聞かずに帰って行こうとしやがるぞ、オイコラ!」的思いが包含された妙齢の女性たちの視線に、オッサンの身体は射抜かれまくる。こんなときに限って、ワシの席は最前列なのだ。地獄だな。

寒くなってきた……。