詮無きことども

旧聞に属する話をいくつか。

今更言うても詮無きことながら、ピーター・ブルックスの『メロドラマ的想像力』(原著1976年)よりも、個人的には、あるいは、演劇研究史的には、Michael BoothのEnglish Melodrama(1965)を評価したいのだが、登壇者の誰も(そのハンドアウトにすら)この本に言及しないのはなぜ? メロドラマの分類は……【自己検閲】。ある特定地域に暮らす自己の現在的あり方について言及されたところは、まさしくmelodramatic actingの一種ではないかと思われたのだが……【自己検閲】。
今更言うても詮無きことながら、なんばグランド花月に行かされて、肉吸い(豆腐入り)を食し、吉本新喜劇を観させられた。「ギャグあとに舞台上でいっせいにみんながコケル」という往年の振る舞いは、若手のギャグには適用されていなかった。ということは、古参芸人が舞台から去ってしまうと、吉本新喜劇から「ギャグあとに舞台上でいっせいにみんながコケル」という文化も消滅してしまうことになるのかもしれない。
今更言うても詮無きことながら、3時間近く会議が継続された挙句に、議長が「これ以上はわたしはもうやりたくないので、だれかお好きにやってください」とおっしゃった。色々な想いが虚空に消し飛んで行った。
今更言うても詮無きことながら、祖父の法要のために実家に帰った。平成元年没の27回忌とな。お寺には見習い坊主がいたのだが、聴くところによると、寺の次女との恋愛が、農業協同組合にいた彼を坊主の道に招き入れることになったとな。うちにいた2匹の犬がまつられているところにも線香を指しておく。もうずいぶん時が経ってしまった。
今更言うても詮無きことながら、先行予約で抽選に当選したのに、代金を振り込むのを忘れて芝居のチケットをひとつ無駄にしてしまった。一般発売でとりなおすこともできるのだが、この芝居そのものに対する熱が急速に冷めてしまった。バタバタしていたり、色々と気をもんでいたりすると、こういうところに影響が出てしまう。

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14日。エビデュオ@The Wiz。ピアノとドラムのデュオ。Gretchen ParlatoからPerfumeからPeople in the Boxから谷川俊太郎から宮沢賢治から……と言った曲目を堪能する。驚くべきことに、セットリストは決まっておらず、ピアノが演奏しながら曲を選定し演奏していくという方式らしい。したがって、ピアノのメロディが導入されるまで、ドラムはどの曲をやるつもりなのかわからなかったりするらしい。お2人とも大変な技巧派。そしてお2人とも、気さくにサインや写真に応じてくださる。諸事情あって8枚限定になってしまったという自主制作CDをゲットする。

19日。『寄生獣−−完結編』を、最終日のレイトショーで見る。客席はワシとドーキョニンの2人のみ。

詮無し……。