毒をおびた舌たち

30日。今日で6月が終る。ゴルバチョフの「ロウドウ会議逃走宣言」がメールにのってやってくる。

舌禍でしょうか……。

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29日。ケイエイしている人たちとのロウドウに関する会議。なのに、ゴルバチョフが来ない……。政治に詳しいうちのゴルバチョフは、事務仕事をしないのに文句ばかりたれる一人っ子の男の子なので、スターリンにでもお灸をすえてもらわないとダメなのですが、あいにくうちにはスターリンはおりません。

毒舌でしょうか……。

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28日。N大での勉強会に向かう途中、ある古本屋さんに立ち寄る。イギリスのジェントルマンに関する古い翻訳本があったので何気なく手にとって表紙をめくってみた瞬間、その小さな翻訳本の重みが何十倍にも変化する。そこには、イギリス19世紀小説研究の碩学である翻訳者の直筆署名と、この翻訳本が献呈されたご夫妻の名前が列記されていた。前者が著名な研究者であるという事実が、この小さな本に不相応な重みを加えた原因なのではいささかもない。著名ということで言えば、後者も前者と同じくらいに18世紀イギリス小説研究の分野で名を馳せていたわけだが、両者の知名度をあわせて勘案したとしても、さしあたり「著名」如何という問題が視界に浮上してくる余地などここにはまったく見当たらない。

仮に問題などという物騒なものが存在しているとすれば、それは後者のお名前のうちの「お一人」と、そのお名前の「背後に存在している人物」にあると洩らしてしまってもよいだろう。その「お一人」とは、昨年の秋頃にここでそっと哀悼の意を述べさせていただいた人物にほかならない。この方のお隣に列記されているもう「お一人」もすでにこの世から旅立たれているので、今となっては、ご夫妻ともに故人となられているわけだ。そこで考える。宛名のもとに帰属することを放棄され、ワシの手のなかで予期しない重みを発揮しているこの小さな翻訳本は、誰の手によって市場の海へと放りだされたのか? それは間違いなく、自身も18世紀イギリス小説を研究しておられるらしい、件のご夫妻のご子息であろう。これが先ほど述べておいた「背後に存在している人物」の身元にほかならない。書物を献呈しあうという行為の理解者たるべく研究者にして、父親に贈られた宛名つきの書物を金銭に変貌させるという無慈悲な行為におよぶ息子……。それほど遠くはない昔に耳にした、このご子息の強烈なエディプス的感情が眼前に浮かんでくる。この本の重みは、顔さえ知らないこのご子息に対する失望とやるせなさの重み以外のなにものでもない。ふと本棚を見渡すと、いくつもの本が自身の重みに耐えかねるといった相貌を浮かべているのに気づく。残念ながら、それらのすべてに慈悲を与える寛大さは持ち合わせていなかったが、小さな翻訳本を本棚から救い出してやることで、その重みを不特定多数の者たちの視線にさらす残酷をなんとか回避する。

このような経験は、某セレブ研究者が市場の海に放りだした本を手にしたときについで、2回目。

饒舌でしょうか……。