それに触れてみたくて……

7日。冬将軍が居座る。休日だから本を読む。

ひとことだけです、寒い……。

*  *  *

6日。本格的に冬将軍がお出ましになる。

『「英国」神話……』を読了する。刊行当時齢60を超えてはいるものの、「英国好き」に対する著者の筆はいまだに青年時のそれをとどめていると言ってもいいほど直截的かつ自己陶酔的に激烈だ。イギリス人の抜け目なさそれ自体を模倣するような文体で反駁を試みた方が効果があるんでないの?……と、この歳にしてすでに晩年性を帯びている(と先日のシンポジウムでエライ人に言われてしまった)ワシなどは思ってしまうのです。たんなるヒネクレ者というだけかもしれませんが。

その後、『私が大学について知っている……』を読了する。以下のことばが語られたコンテクストに、ワシが関与する機会はこれまでまったくなかったし、これからもまったくないと明言してもいいが、この発話の主体をひきうけるものと同様、若者たちを世界に送り出す場にいるもののひとりとして、このことばには素直にココロが揺さぶられる。

……しかし、自分では責任のとりえないこの種の事態を率先して受け入れ、それをみずからの必然へと転化せしめようとする試みのうちに、生きることの倫理がかたちづくられるものなのです。歴史とは、そうした苛酷な、また苛酷であるがゆえに豊かな未来を約束してくれる現実にほかなりません。どうか現実から目をそらすことなく、自分自身と歴史との関係を充実したものにしていただきたい。
 もちろん、あなたがたの前には、たやすくは解消しがたい多くの困難がたちはだかることになるでしょう。あなたがたが素肌で向き合うことになる世界は、当然、利害を異にする複数の個体からなる厳しい葛藤の場にほかならず、そこでは、ときに孤立無援の裸の自分と出会わねばなりません。それを巧みに避けて進む才覚だけを、聡明さと勘違いしてはなりません。そのときえられるほんの一時の心のやすらぎを、幸福と思ったりしてはなりません。他者との軋轢を通して初めてかたちづくられるみずからの存在の歴史性に無自覚なものに、世界が微笑みかけるはずなどないからです。(18−19ページ)

細部に触れる、その細部に触れたときに、その触れた細部が変化し、明らかにこれまでとは違う新たな何ものかに変容していく、そのような現場に立ち会うことができたならそれでよいだろう。それは必ずしも文学にあっての一つの言葉、あるいは映画の一つのイメージといったものだけではなく、さまざまな社会的な現象でもかまわない。それにそっと触れてみて、その反応に手をかざし、それが何か変化への徴を示してくれるような瞬間があったなら、それをさらに加速させるような反応をすればいいのではないか、そう思ったわけです。……
 だから、これは、わたくしがこれまで遭遇と呼んできたものにほかなりませんが、そのとき起こる現象を、最近では「偏愛」と呼んだり「依怙贔屓」と呼んだりしています。それに無頓着でいるときだけに起こるこうした「惹かれる」という体験は、そもそも無責任な体験だからです。無責任な体験であるが故に、思い切り「依怙贔屓」しても誰の個人的な利益にもつながらないのです。そんな気持ちで、思わず手をかざすその細部がさまざまに変容していくその過程をさらに加速させようとしているわけです。(206;207ページ)

こうした体験をハスーミは「批評」とよぶ。ワシもそれに触れてみたい。

世界にかすかな光がさしたように思う……。