推測=解釈

採点をしたり、休日返上でまた別の採点をしたりしている。それだけではおさまらず、紙を折って、封入して、糊付けをして、郵便局にもって行って発送したりしている。それだけではおさまらず、会議に出させられたり、打ち合わせに参加させられたりしている。それだけではおさまらず、……。

 

提案・説明する立場にあるものが、寄せられた意見や疑問点に対して、「どうしてそのような意見や疑問点が出てくるのか、むしろわたしの方こそ理解できない」としか答えられないのであるならば、時間の無駄だから提案などするな。提案をとおしたければ、とことん説明して疑問点を解消したり、理解を求める姿勢でことにのぞむのが筋だろう。「わたしが提案することは、わたしが良いことだと思っているのだから、わたし以外の人も良いと思うはずだし、それを良いと思わない人は、その人の方がむしろ間違っているのだから、わたしはそんな人の相手はしない」的な考えは、対話的思考にはほど遠いので、バフチンを読んで、出直してこい。少なくとも、いまのままでは会議の議長になる資質はない。

 

「ある時点で資料は語ることを止める。そこからは歴史家が推測を始めなければならない、それが文書の解釈である」(106ページ)と歴史家は語るが、このような推測=解釈がどこまで許容されるのかは、難しいところだと思う。とりわけ、文学に対して〈歴史的アプローチ〉を試みる場合、推測=解釈の許容範囲は一段と狭まるように思われる。「資料に語らせるにとどめる」のが、現在、もっぱら見られる〈歴史的アプローチ〉だと思われるし、もしかしたら、推測=解釈という概念は文学には存在しないように思われてしまう。〈歴史的〉ってなんでしょうかね?

 

George Taylor, The French Revolution and the London Stage, 1789-1805 (Cambridge UP, 2000)を30ページほど読む。

 

老いた眼=老眼が痛い……。

移行してみました。

あけましておめでとうございます。ここまでのところ、胃腸炎にかかって嘔吐と下痢に苦しみました。「それはあんたの仕事だろ」と憤りました。眼科に行ったときに、巷でうわさの某ルーペを試着する機会に恵まれました。テリー教授が久々に些細なことでキレそうになってました。ほとんどテレビを見る機会がなくなってしまいました。4時間ぐらいしか睡眠時間が確保できなくなってきました。女子学生に「春休みなにをしたらいいですかね」と尋ねられたので、「孤独と絶望について考えてみるのもいいかもよ」と答えてしまいました。定期試験で不正をしている輩をしょっ引きました。遅ればせながらブログを移行してみました。

 

下河辺美知子『グローバリゼーションと惑星的想像力--恐怖と癒しの政治学』、三浦玲一(編)『文学研究のマニフェスト--ポスト理論・歴史主義の英米文学批評入門』、ジョン・H・アーノルド『歴史』、阿部公彦『英語的思考を読む--英語文章読本II』、Michael Cordner and Peter Holland, ed. Players, Playwrights, Playhouses: Investigating Performance, 1660-1800などを読む。

 

お元気で……。

ジダンくんとFather Mayer

12月に、息子氏が風邪をこじらせて検査入院をしました。入院先で同室になったジダンくん(日本人)は元気になったかな…。子どもが苦しんでいるのを見るのは、やはり嫌なものですな。もう会う機会はないかもしれないけれど、ジダンくんにとりわけ良いお年を。そして、息子氏にも。

David Mayer先生がお亡くなりになった。母国に帰国中のご不幸だったが、お亡くなりなる数日前に、親しい方に向けて「日本に帰る日を楽しみにしている」というメールを送っていらしたそうだ。Father Mayerは、寛容と誠実を体現されているような方だった。おろらくはワシがはじてめふれたキリスト者だったと思う。残念ながら仕事で追悼ミサには出席できなかったが、ミサ前日に、Father Mayerに教えをうけた大学で少し黙祷することができた。ワシは地獄行き濃厚なので、Father Mayerには彼岸で会うことはかなわないだろうが、そんな堕落しきったワシからも、一言だけFather Mayerに言わせてください……「メイヤー先生、ありがとうございました。お会いできてよかったです」。

またいずれ…。

ふたたび胸がいっぱいになる

11月11日。『誰もいない国』@新国立劇場。台詞をとばしてしまってもなんとか補ってしまう老獪さ。ピンターを見るたびに思うのは、ピンターはそろそろ別の翻訳者を見つけてほしいということなり。

* * *

11月10日。『修道女たち』@本多劇場鈴木杏は「セカイのニナガワ」の芝居に出ていたころに比べると、各段にすばらしい演技をするようになったと感じる。伊藤梨沙子は声も美しい。それにしても、ふたたび白塗りですな。

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11月3日。後輩氏と待ち合わせをして、午後からオジイチャンのお宅に向かう。20年も行かなかったのに、ここのところ1ヶ月に1回訪問することになってしまったのは、不思議なことなり。オジイチャンのお宅に行くには、最寄り駅からバスを利用することになるのだが、この日はなにやらイヴェントが開催されていたようで、バスがかなり遅れてやってくる。なるほど、川べりにはたくさんのテントがたっていて、いかにもイヴェントが開催されている趣がしている。バスを降りてしばし歩く。オジイチャンの家にはなんとか約束の時間に到着する。インターフォンを押すと、こちらが誰かは名乗っていないのに、「どうぞ」という声がしてくる。オジイチャンの書斎は前回来たときと変わりない。後輩氏は、オジイチャンの本棚から楽しそうに本を選んでは譲り受けていく。「少し休憩を」ということになり、お茶とお菓子をいただく。そして「このオジイチャンんが庭で採取しました」と言って、柿を出してくれる。その柿はたいそう甘かった。「少し持って帰る?」とも言ってくださる。本を選んだり、お茶を飲みながらお話をしたりで、2時間ほど経過してしまったので、そろそろ失礼する。後輩氏と本がつまった段ボール箱を抱えて最寄りのコンビニまでむかい、後輩氏の自宅にそれを送る手配をする。そして、コンビニ付近のバス停からバスに乗る。すると……バスのなかにオジイチャンがいて、お知り合いと談笑している姿が眼にとびこんでくる。気づかれないように、バスの後方座席に後輩氏と陣取り、なりを潜ます。バレたら気まずいからな。帰りの電車でふたたび胸がいっぱいになる。オジイチャンの書斎には、オジイチャンが若かりしころの家族写真が飾られている。思い出すと、なんとも胸がいっぱいになる。ちなみに、今日はワシの誕生日だったな。

涙は流れないけどね……。

ぼくの家に来る?

10月29日。Sono stanco molto.

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10月14日。急遽予定がキャンセルになったので、『誤解』@新国立劇場カミュの絶望にふれる。「涙が流れているのだから、まだ本当の絶望を味わったわけではないわ」的な趣旨の発言に遭遇したのは、これで3度目なり。最後のことばは、「いやです」。

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9月15日。オジイチャンのご自宅に行く。以前お会いしたときに「ぼくの家に来る?」的なお誘いをいただいたので、ノコノコ出かけって行ったわけなり。学部時代に1回、授業のレポートが締切に間に合わなくて、オジイチャンの自宅のポストに投函しに行ったことがあった。そのとき、「せっかく来てくれたなら、ピンポンって押してくれればよかったのに」と言われてしまった。その後、大学院時代に1回、これまた授業のレポートが締切に間に合わなくて、オジイチャンの自宅まで行った。そのときは前回言われたとおりに「ピンポン」と鳴らした。そうしたら、オジイチャンが玄関から登場してきて、近くの喫茶店につれて行ってくれ、お茶をごちそうになった。「どうせ大学行くんでしょ、これ出しといて」と、用事も頼まれた。さらに、もう一度、自宅ではなかったが、オジイチャンの利用している駅の近くにあるホテルの最上階で、いっしょにランチバイキングを食べたこともあった。そんなこんなでオジイチャンの自宅に行くのは3回目で、おそらくは20年ぶり、そしてなかに入れていただくのははじめて、だった。オジイチャンは、書斎にとおしてくれて、紅茶を出してくれたり、「めずらしいお茶飲む?」と言って開運茶という名のキノコ茶を振る舞ってくれたりした。訪問の本来の目的はあまりはかどらなかったものの、なんとなく2人で静かになごんだ時間が流れたのでよかった。帰りはバス停までついてきてくれて、オジイチャンはバスが発車してもずっと立ったままワシを見送ってくれた。その姿を見て、なんとなく胸がいっぱいになってしまった。

涙は流してないけどね……。

台風にもかかわらず

9月4日。台風接近。にもかかわらず、山里亮太『天才をあきらめた』(朝日文庫)を買いに街に出る。だって、サイン本がほしかったから……。なにはともあれ、長時間の停電に不便を強いられる。

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9月1日。カルメロ・ベーメの誕生日。Sto bene. 嘘。

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30日。「そろそろ潮時か」などと言った翌日、「はてなダイアリー」のほうから「もう終わりだよ」と告げられてしまった。サヨナラをいうまえに振られてしまったような感じなり。

benissimo……嘘。

サヨナラを言うことは

29日。もう8月も終わろうとしているが、恐ろしいことに気がついた。ここに駄文を垂れ流しはじめて、10年が経ってしまった。この10年で色々なことがあったはずだが、ワシはアホなので、もうほとんど忘れてしまったし、ワシは傲慢なので、それらを思い出すつもりもない。ただ、ひとつだけ釈然としない感情が残存している。ニンゲンにはある日突然サヨナラも言わずに旅立ってしまわなければならないような時があるのだ。「サヨナラを言うことは少しだけ死ぬことだ」。サヨナラは死を運ぶ……本当の死を回避するために。addioはとても美しいことばだと思う。そろそろ潮時か。

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20日。オジイチャンに会う。いつもの場所で、いつもの時間に会い、いつものランチを食べる。そして、いつもの他愛のない話をする。だいたい待ち合わせ時間よりもお互い20分ぐらい早くやってくる。昔はケーキとコーヒーを注文していたが、いまはランチを食べる。だいたい2時間ぐらいすると、なんとなく席を立つ。お会計はワシが払ったり、オジイチャンが払ったりする。そして、2人して横並びで駅まで歩く。理由があって、以前に比べてオジイチャンの歩くスピードは遅くなったので、ワシもなんとなく意図的にゆっくり歩くようにしている。駅までは5分もかからない。「僕は買い物して帰るから、じゃあ、また」、「ありがとうございました」などと述べあって、改札のまえで淡白に分かれる。以前は歩き去るオジイチャンにあまり視線を送りつづけることなく立ち去っていたが、いまはオジイチャンがワシの視界から消え去るまで見送ることにしている。オジイチャンは振り返ることもなくゆっくりと去っていく。オジイチャンが見えなくなると、ワシは「ああよかった、見送っていることがばれなくて。ばれたら恥ずかしいからな」と思い、ひとまず安堵する。と同時に、不吉な感情にとらわれてしまう。出会って25年、いつのまにか時が経ってしまった。

addio……。